かつて肥後一の宮と称され、阿蘇開拓の祖神健磐龍命をはじめ十二神を祀っている。農耕神として県内外に400社もの分社、末社を持っている由緒ある古社。現在ある社殿は天保6年(1835年)に細川氏によって再建された。
伝える話によると、建久二年、源頼朝は富士の巻狩を催すに先立って梶原景時を阿蘇に派遣して下野の狩りの方式を実習させ、その手本に基いて富士の巻狩を行った。
その間のいきさつを阿蘇郡史は次のように記述している。
『鎌倉の右大将頼朝は建久二年に富士野の牧狩をもよおすに先だち特に使を阿蘇に遣わして下野の狩の法式を問わせたり。当時梶原景時その使命を承りて下向し、阿蘇の東北なる久住山下に狩猟を実習したりと称する猪鹿狼寺の縁起は宮地の植木の原なる梶原屋敷の伝説とともに全く信ずべからずと雖も、阿蘇よりは下田権大宮司及光永某をして狩猟の要具をもたらし古来の方式を鎌倉に伝授せしめければ右大将鑑賞し黄金造の太刀等贈りて阿蘇家の好意を謝したりとぞ……』と。
「後狩詞記」は日本の民俗学の出発点とされている。椎葉には濃密な伝統文化が力強く伝承されている。その意義を理解し、柳田国男は、椎葉に伝わる狩、焼畑、祭り、くらしを詳しく書き留めた。
柳田国男と椎葉とのかかわりを以って民俗学発祥の地とされている。
黒川温泉は筑後川の上流。あの大きな筑後川の源流(の一つ)がすぐ上の山間部に湧く。宿の間を流れていく。
工夫をこらした宿の温泉場は格別。
後藤哲也さんという観光カリスマがいる。彼のリードと宿の二代目がシャニムニ頑張った。その努力の結晶が今の黒川温泉ブームを作った。
●旅から帰って、土地の人の話にこそ、深い歴史と風土の蘊蓄があることがよく判る。そんな後悔のないように話し込もう。
●本来の土地のアジはヤマメと山菜、だご汁が代表格。春先の採りたての山野草、ウド、ノビル、タラの芽が食卓に並ぶと嬉しい。