江戸時代、御船から矢部郷を結ぶ道は八勢川を渡っていくこの八勢の地しかなかった。木造橋は洪水のたびに流され、そのたびに交通は遮断された。その難儀を救ったのが御船の豪商林田能寛であった。私財を投げうって4ヶ月で完成したのが八勢目鑑橋である。おかげで御船から矢部、清和へと続く日向往還は馬車の通行を可能にした広い道となった。ペリーが浦賀にやってきて日本中が大騒ぎになっていた頃である。
矢部の中心地である浜町。この名の由来は浜の館からきている。かつて阿蘇から矢部まで勢力を誇っていた阿蘇大宮司が阿蘇から矢部に拠点を移したのが13世紀初頭。島津氏に押されこの地を離れるまで380年間に渡り、政治軍事経済の中心となったのが浜の館である。
日向往還には歴史が生きている。清和文楽は、熊本県に残る唯一の人形芝居。江戸時代の末の嘉永年間(1848〜1853)に阿波・淡路系旅回りの人形浄瑠璃一座から伝えられ、浄瑠璃の好きな村人たちが、農作業の合間に習い覚えて春の祈願、秋の願成のお祭りに自ら奉納を始めたのが興りと言われている。県の重要無形文化財に指定されている。92年には日本古来の伝統建築技術を駆使し、村特産の杉材をふんだんに使った文楽専用の「清和文楽館」を開設。清和は今や「文楽の里」として広く親しまれ、年間の公演回数も250回をこえる。資料館では頭のカラクリを操れる体験コーナー、人形や衣装の展示、コンピューターで人形の動きを再現したロボット人形などが楽しめる。清和で収穫された旬の野菜や山菜、しいたけやたけのこの乾物など、清和村の味を展示即売。手作り料理の食堂や加工品体験コーナーもある。
●「通潤山荘」には温泉が湧く。ゆったりとした施設には露天風呂も。柔道の山下選手の出身地は矢部。山下選手の“戦歴”を示すトロフィー、愛用の品がロビーに並ぶ。
●高千穂の宿は歴史遺産No.1、No.2、No.3、No.5を参照のこと。