小鹿田焼は小石原焼から発祥している。作陶の手法は同じ。こちらは家長→長男と続く、「一子相伝」を保っている。現在数件の窯元が精を出している。小さいなからも、資料館にはこくのある昔の製品が展示されていて、往時の趣きにひたれる。
北茂安町の皿山周辺で焼成される白石焼。17世紀中ごろ〜18世紀初頭、農家の副業として素焼物を焼いたのが始まり。その後、当時の白磁に似た白罅(しろにごし)焼から、明治中期には日常生活用品も登場。現在、民芸陶器を中心に、個性的で独特の味わいある作品が人気を呼んでいます。
小代焼は、熊本県の北部小岱山麓において、約400年前から焼き続けられている。豊前国在住の源七(牝小路家初代)及び八左衛門(葛城家初代)が、寛永9年(1632)細川忠利の肥後入国に伴って、玉名郡南関手永宮尾村字龍原(現熊本県玉名郡南関町宮尾)に移り住み、焼物師を命じられた。この牝小路家・葛城家が小代焼の創始とされている。以来二家が肥後藩の御用窯として代々業統を継ぐ小岱山麓の窯で焼き始めたところから、小代焼と呼ばれるようになった。
その歴史は、文禄・慶長の役に出兵した鍋島藩家老・後藤家信が朝鮮から多くの陶工を連れ帰り、彼らがこの地で開窯したことに始まります。古唐津の中で最も数多く古窯跡が残っている地でもあるのです。温かみのある色調やぽってりとした形が特徴で、日常生活雑器を中心とした民芸陶器として親しまれています。
武雄温泉