志賀島は博多湾の東側にある周囲約8kmの島。もとは海の中道との間に水路があったが、現在は陸続きになっている。天明4年(1784)に漢の光武帝から下賜された「漢委奴国王」の金印が発見された場所として有名。福岡市博物館に展示されている。
志賀の海女は藻刈り塩焼き暇なみ櫛笥の小櫛取りも見なくに
八代に景行天皇伝説に語られている「水島」がある。
そのことを長田王が歌った歌碑が、芦北町の御番所の鼻の地に立つ「葦北の野坂の浦ゆ船出して水島に行かむ波立つなゆめ」。
長田王は薩摩へ行くところだ、そこで遠く薩摩を望み「隼人の薩摩の瀬戸を雲居なす遠くも吾は今日見つるかも」。その歌碑が薩摩川内市に建っている。
万葉集の歌人・大伴家持は薩摩国府の守
(長官)に任命された。「川内歴史資料館」の裏手には「万葉の散歩道」と呼ばれる散策道がある。川添いに家持のブロンズ像、万葉歌碑が15あり、古の風景に思いを馳せながらのんびりと散策することができる。
※大伴家持は大伴旅人の長男
●二日市温泉は歴史文化No.8、No.9参照。
●景行天皇の伝説の湯。湯の児温泉は不知火海に接している。湯舟と水平線が同じ目の高さ。近くに山の湯・湯の鶴温泉がある。
●川内高城温泉(薩摩川内市)市街地から車で20分の山あいにある。西郷隆盛もたびたび利用したといわれ、古くから湯治場として人々に親しまれている。
湯の児温泉では名物の太刀魚づくしはじめ海幸がたっぷりと。