「五足の靴」の一行は、「人はやっと蘇生した。波静かな富岡港に上陸した。細長い小半島の終点に富岡城の跡がある。細長い町を挟んで西は外海の波が荒て居る。東は偽のように平な内海である。」と天草第一歩の印象を述べている。
340年前より代々高浜村庄屋である「上田家」は、天草の旧家の一つである。現在その資料を一般公開している。県重要指定文化財をはじめ、大石内蔵助の書簡、古備前焼、茶道具など200点あまりを展示してある。上田資料館の隣にある高浜寿芳窯は、上田家6代目伝五右衛門によって開窯した。
5人の旅は、下田温泉より天草西海岸を北より南へと歩を進める。下田温泉街入り口を過ぎたあたりに、「外海の波が噛みつくガリガリの石多き径に足を悩ましつつ」と語られた「五足の靴文学遊歩道」がある。この道は現在、遊歩道として整備され、自然散策ができるようになっている。全長3.2キロメートルの遊歩道だが、途中2つの出入り口ポイントがあるので短めの散歩も楽しめる。
主目的である大江天主堂のパーテルさんに会う前の日に宿泊した大江の宿が高砂屋。その当時1軒しかなかった旅館だった。現在も旅館を営んでおり、門の脇には、「五足の靴の一行この地に泊る」との小さな石碑があり、5人の名も刻まれている。
白秋たちがここを訪ねた明治40年には今の天主堂はなかった。粗末なわらぶき屋根、そこにパーテルさんことガルニエ神父は神に仕え、里人と交わり、「茂久」が身の廻りの世話をしていた。質素に暮らしていた。
「一酌の後庭に下りる。庭の後ろはすぐ画(江)津湖だ。紅提灯を吊るした屋形船が一艘…、一同乗る。船は湖心に向かって徐々に進む。…静かだ、そよとの音もない。満天の星が澄徹の水にじっと動くことのなく写る。螢がたわたわと飛ぶ。……全くの別世界だ。人々は「おゝ涼しい」と云う言葉をさへ忘れて居る」
●下田は歴史遺産のNO.17参照
潮の香り漂う牛深に泊ったら早朝、漁に出る船団を見に行くか(潮によって時間帯が異る)魚市場を訪ねるとよい。近海、遠海の獲物が水揚げされるさまは壮観。
●牛深のまちは潮の干満による陰歴で左右される、漁師のまち、港のまち。有名な「牛深ハイヤ」の本場。海底探検の遊覧船も出ている。