明治四十年、新詩社「明星」を主宰する与謝野鉄幹はじめ北原白秋、木下杢太郎、平野万里、吉井勇の五人は長崎の茂木港から富岡に上陸、大江へと向かった。
一行はようやくのことで下田温泉にたどりつく。天草の代表的な温泉地。白鷺の湯浴み中に発見されたという言い伝えから白鷺温泉の別名を持つ。オールド映画ファンには木下恵介監督「花咲く港」のロケ地としても懐かしいだろう。
温泉街近くに文学遊歩道の登り口がある。往時、五足の靴の一行がたどった当時の足跡コース。その道をたどるとき、白秋ら若き詩人たちの息づかいも聞こえてくるようだ。
遊歩道の難路を抜けると視界が開け、やがて鬼海ケ浦から妙見浦、十三仏と続く西海岸の絶景が待ち受ける。荒波に浸食された怪奇な岩礁、海中に高く深く穿たれた洞門、切り立つ断崖。海はあくまで蒼く、想いはいつしか遠く水平線の彼方へと馳せていく。
与謝野鉄幹もこの地で受けた感銘を忘れることが出来なかったのだろう。昭和の初め、妻晶子と再度訪れている。十三仏公園の夫妻の歌碑。
天草の十三仏の山に見る
海の入日とむらさきの波 与謝野鉄幹
天草の西高浜のしろき磯
江蘇省より秋風ぞ吹く 与謝野晶子
さて、五足の靴の一行の天草探訪の目的は何だったのだろうか。北原白秋が詩に託している。
わこうどなれば黒髪の
香こそ忍べ、旅にして
わが歴史家のしりうごと
「パアテルさんは何処に居る。」
そのパアテルさんことガルニエ神父にようやくにして出会うのが大江天主堂。隠れキリシタンの里、丘の上の教会だ。ガルニエ神父はフランス生まれ。明治二十五年に赴任して以来、一度も故国に帰ることなく半世紀にわたって村人とともに暮らし、献身の生涯をこの地で閉じた。
一行はガルニエ神父にキリシタンの歴史を聞き、信徒が秘蔵していた十字架やメダルなどを見せてもらい大いに感激、強い刺激をうける。その感激と刺激は後年、白秋の『邪宗門』や木下杢太郎の『天草組』などに結実し、日本文学史上に「南蛮文学」というべき特異なジャンルを生み出すことになる。
野田宇太郎『九州文学散歩』には次のように書かれている。
「その詩の源を求むれば、
道は自然草深く、潮の香の漂う天草に 行きつくのである…」
天主堂の前には吉井勇自筆の歌碑も建つ。
白秋とともに泊りし天草の
大江の宿は伴天連の宿
牛深〜島原〜熊本〜阿蘇へ向かう。