九州の入口は万葉の時代から関門、即ち門司ヶ関であった。神功皇后三韓征途の伝説の地。船はここを通った。大化2年(646)に設けられて、検問が始まった。和布刈神社からの眺めがよい。当時が偲べる。
ひぢきの灘(ひびき灘)を通り、鐘ヶ岬を通り、志賀島へ向かう途中の歌がうんちくの項の「ちはやぶる金の御崎を過ぎぬともわれは忘れじ志珂の皇神」
「志賀の海人の一日もおちず焼く潮の辛き恋をも我はするかも」の歌である。
防人の将として旅立つ狭手彦と佐用姫の物語の地。あまりにも有名な悲恋物語。詳細は省く。姫は沖へ向う狭手彦の船を追って息が絶えるまで名を呼び続けた。その地を呼子というようになった。その後、「五足の靴」の一行も鏡山に登り、この物語を印象深く記している。この物語をテーマにして万葉に数多く詠まれた“万葉の山”。
国の天然記念物にも指定され、玄界灘の荒波にさらされた玄武岩が浸食されてできた景勝地。断崖は深くえぐられ、その名の通り7つの洞窟が並んでいる。最大の穴で間口が3m、奥行きが110m。遊覧船で見学できる。