彼が住んでいた近くの八幡東区宮川公園には夢二文学碑が建ち、毎年9月、「夢二祭り」が行われている。スペースワールド東側、県道50号は一部夢二通りと名づけられ、夢二の絵が飾られている。
『夢二日記』 大正7年8月11日
「博多。夕方の海、青木繁が見たあの海を見に車で出かける。古い博多の柳町を見る。」と書かれている。(青木繁は明治44年3月、東中洲の松浦病院で没した。)
『夢二日記』大正7年8月12日
「夜。唐津。宿へかへると浄るりに合せた太棹が二階の方からきこへる。近松もすんだこの土地では特に感じが深い。」(夢二は近松の「心中天の網島」を好んだ。)
「夢二日記」大正7年8月16日~9月
長崎。(銅座町、永見徳太郎宅に滞在)永見の案内で、異国情緒の町(稲佐、丸山、出島など)を散策。永見宅で歌人 斉藤茂吉と出会い、一本の帯地に二人は鳥の歌をしたためた。夢二の代表作「長崎十ニ景」「女十題」にはピエール・ロチ「お菊さん」からの題材が見られる。
「夢二日記」大正7年8月14~15日
島原。(南風楼宿泊)安養寺で喫茶、「定めなく…」(軸装)の歌を半折に揮毫。“精霊流し”を見学し、後年詳しく紀行文に著す。
「島原巷談 精霊流し」の作品となる。
市の中心部に白土の池という湧水池がある。寛政の昔、眉山が大地震で崩壊したときに一夜にして出来た湧水池。そこから流れる音無川が市の中央を流れていく。城を背景にゆらぐ精霊流しは水の都・島原の奥ゆきある風情をたたえる。(夢二が投宿した南風楼には茂吉、白秋、晶子も宿泊している。)
夢二が敬愛した白秋の故郷・柳川市にある。明治43年建築の西洋館には大正ロマンの趣きがある。正門脇には「夢二と九州」展示と解説の夢二コーナーがある。(旧守衛室…入場無料・不定休)
青木繁の生家も残る久留米市のケシケシ山には青木の歌碑がある。