高鍋藩の時代から、藩の奨励産業として保護されてきた歴史を持つ。温暖な気候のもとで自生が盛んな原料のコウゾやミツマタを、石並川の流れでさらして紙を漉いてきた。現在は佐々木寛治郎さん一家が継承している。県の伝統工芸士であり、日向市文化賞も受賞。
かつて薩摩藩のコウゾ蔵が置かれたほど、製紙業が盛んだった蒲生。最盛期には500軒もの紙漉き場があったという。現在は小倉正裕さんが伝統を受け継ぎ、地元のカジノキの皮で紙漉きを行っている。カジノキは繊維が長く、皮が厚いので引きの強い紙ができると評判。近くには、この和紙を使った紙布織や和紙のオブジェの作家たちも創作活動をしている。
手揉み茶を作る際の茶取り紙として漉かれた和紙が始まり。江戸時代になると藩の保護のもとに、下級役人の間で盛んに行われていた。明治時代に最盛期を迎える。火に強く、今でも高級茶作りに欠かせない紙である。
八女和紙の歴史は九州で最も古い。今から400年ほど前、文禄4年(1595年)、全国行脚の途中に立ち寄った日蓮宗の僧・日源上人が、越前国(現・福島県)に伝わる紙の技術を伝授したことから始まる。矢部川の清流に恵まれ、繊維の長い楮を主原料としているので、引きが強く、腰が強い。愛好家には、版画家の棟方志功などがいる。
福岡から佐賀に山越えする峠近くの名尾地区に、300年以上伝わる伝統の和紙。かつてこの集落の納富由助が筑後で修業して技術を持ち帰り、農家の副業として盛んに行われたが、今では谷口祐次郎さん一家がそれを受け継いでいる。麻紙、杉皮紙、カヤの漉き込み、柿渋染め、土藁紙など、さまざまな原料にも挑戦しており、そのバリエーションが楽しい。
嬉野市の塩田町は、天草から有田焼の陶石を運び込む港としても有名だが、農家の副業として350年前から行われていたのが紙漉きだった。水がきれいでコウゾなどの原料も豊富に自生していたのである。最盛期には100戸近くが携わり、傘紙や提灯紙、障子紙など暮らしに根づいた和紙を生産していた。現在は保存会として13名ほどが関わり、工房では紙漉き体験も受け付けてくれる。(日曜祭日のみ、要予約)