"別府八湯“の一つ「鉄輪温泉」は、鎌倉時代に一遍上人が発見したといわれる。にぎやかな観光温泉というよりも、共同湯や小じんまりした旅館がどこか庶民的な風情を漂わせる。
その庶民性の表れが、温泉街のあちこちで見かける「入湯貸間」の看板だろう。これは、昔ながらの「湯治宿」のことである。
かつて、病気の治療や病後の療養に日本人が編み出した「湯治」の知恵。今のような観光目的でなく、ゆっくり何日も滞在して湯に浸かり、のんびり療養をしたものだ。3日を過ぎる頃からいったん湯疲れが出るが、それを通り越して1週間から10日も経てばじんわりと効果が広がっていく。
鉄輪温泉は、別府の中でもこの「湯治」によく使われてきた温泉である。そして今でも、約70軒の旅館のうち30軒が湯治客を受け入れる。1日素泊まり
3000〜4000円程度で部屋を借りられる「貸間」の宿が健在なのだ。
全国各地にこういった「湯治の宿」はまだあるが、そのシステムは基本的に自炊。鍋釜や食器を借りて、ガス代はコイン制というところが多い。
鉄輪温泉もほぼ同様だが、ここならではのうれしさはガスならぬ「地獄蒸し」で調理できることだろう。
近くのスーパーや魚屋、八百屋でサツマイモやカボチャ、卵、トウモロコシ、魚やエビ、カニなど好みと予算に合う材料を買い込んでくる。それをザルに入れて、地中から噴出する100度以上の蒸気釜にのせておく。入浴前に仕込んでおけば、湯上がり頃にはホカホカと蒸し上がっているという寸法だ。素材の旨みが存分に引き出されて、簡単ながら何よりの美味である。
湯治宿には、こうした蒸気を備えた共同調理場を設けたところが多く、男性でも気軽に自炊が楽しめる。
鉄輪で蒸すのは、食べ物だけではない。この蒸気を利用して、床下から蒸す「蒸気浴」は、新陳代謝と発汗を促して健康効果も高いとか。共同浴場として長年愛されてきた「鉄輪むし湯」は、平成18年に規模も新たにリニューアル。石菖という薬草を敷く蒸気浴は、独特の香りと、鎮痛や健胃効能の中で身体を癒すことができる。
最近では、若者たちの利用も増えてきた鉄輪の湯治。他の地方では山奥にあることが多いが、鉄輪は町なかでアクセスのよさも利点である。スローライフ志向の現代にもぴったりの温泉といえよう。