日本全国に千余りあるカトリック教会のうち、実に131もの教会が長崎にあるという。
「寅さん」シリーズで、長崎がロケ地になった6作や20作、35作でも、重要なシーンで教会が登場していた。とくに35作『寅次郎恋愛塾』では、偶然出会った老女の死に寅さんが立会うのだが、その葬儀が行われるのが上五島・中通島の「青砂ケ浦教会」だ。
重厚な赤レンガに白い縁取りのコントラストが美しいこの教会は、日本の教会建築の祖といわれた鉄川与助の手になるもの。明治43年完成というから、およそ百年近く経っている。
日本の教会建築の第一人者といわれる鉄川与助は、その生涯で実に50を超える教会を建てた。上五島の「冷水教会」、同じ五島で石造りの風合いが独特の有川「頭ケ島天主堂」、平戸・田平に立つ赤レンガの「田平天主堂」、同じ平戸でコンクリート壁に彫刻が施された「紐差天主堂」、天草の「大江天主堂」に「 津天主堂」、そして原爆で倒壊し、その悲劇を象徴する「浦上天主堂」などが与助の主な作品だ。
隠れキリシタン逸話の多い長崎でも、五島列島は教会数の多さでは指折り。今も60近くが点在する。
江戸時代のキリシタン弾圧で、長崎の信者の多くが人里離れたこの島々に移住したという。慶応年間には、74ものキリシタン集落があり、幕府の弾圧に耐えて250年にもわたって密かに信仰を守り続けたのだ。
明治6年に禁教が解かれ、キリシタンたちはそれぞれの村で力を合わせて教会を建て始めた。遠く海を越えて日本に渡ってきたフランス人宣教師たち、そして鉄川与助ら日本人の建築家も、村人の助けを借りながら建築に情熱を注いだのである。中通島の「頭ケ島教会」では、信者たちが島の石を一つ一つ積み上げて立ち上げたといわれている。
五島を始め長崎各地の教会には、伝統的な西洋建築の中にも日本人らしい「やまと心」が伺える。たとえば、教会建築の重要な要素である「リヴォルト天井」。それぞれの柱が上に伸び、肋骨のような構造で天井を支えるものだが、平戸の「田平天主堂」のリヴォルト天井は、ヨーロッパのそれに比べてやわらかな丸みを帯びる。また、柱の彫刻にも、神社仏閣に見られそうな和風のモチーフがほどこされている。
印象的なのは、各地の教会に見られる「椿の花」のモチーフ。椿はいうまでもなく五島を代表する花である。「田平天主堂」の柱の上部に彫られた椿の花。「中ノ浦教会」の心廊のたれ壁に施された椿のレリーフ。「大曽教会」の壁にも椿が彫られ、よく観察すれば柱の断面までそのモチーフと同じ形である。
教会を出て、島のあちこちのキリシタン墓地を巡ると、ここでも日本型の墓石に十字架が乗った和洋折衷の形がしばしば見られる。
キリシタン文学を生涯のテーマとした故・遠藤周作は、『沈黙』の中でこう書いた。「我々の神を変化させ、別のものを作り出した」…。
五島の教会建築を巡ると、その思いがよくわかる。