まほろばの鐘天平の雲を呼ぶ
安武 九馬
観世音寺は、筑紫の征路むなしく、朝倉の宮(福岡県朝倉郡朝倉町)で崩御された母帝・斉明天皇追善のため、天智天皇が建立を発願されたもの。完成までに七十余年の歳月がついやされ、天平十八年(七四六)ようやくできあがった。
寺の広さは方三町といわれた。法隆寺より大きく、七堂伽藍がその壮麗さと西日本随一の規模を誇った。
だが たび重なる火事、災害に盛衰の波は激しく、創建当時の堂宇も仏像も、すべて失った。わずかに講堂の礎石十九個と、五重塔の心礎、南大門の礎石数個、それに"日本最古“とみられる名鐘が、往時の栄華を伝えるだけ。
都府楼はわずかに瓦の色を みる観音寺はただ鐘の音を きく
延喜の昔、筑紫に流された菅原道真は、この鐘の音に遠く都をしのんだ。
日本最古の鐘は、京都・妙心寺の釣り鐘(国宝)といわれる。黄鐘調という美しい音色、流麗な唐草文様を持つ鐘である。
観世音寺の釣り鐘とは、その形、寸法、撞座の意匠など、ほとんど同じ。釣り手がやや小さく、流れるような文様は、ずっとのびやか、という違いはあっても、谷口鉄雄九大教授(美学)は
「この二つは″兄弟鐘″といえよう。同じころに相前後して、同じ型を使ってつくられたものであろう」 とみる。
(創元社刊 大宰府歴史散歩 大野誠著)