佐土原町から宮崎市内に入ると、海側にこんもりと生い繁った森が見渡せる。この一ツ葉の浜の後背地一帯が阿波岐原と呼ばれ、日本神話に日向という地名が最初に登場する地である。大海原から黄金色の太陽が神々しく昇り、神秘的な雰囲気が漂う。
壮大な天地創造の物語が生れたといわれる阿波岐原。イザナギノミコトとイザナミノミコトの夫婦神は、国土となる十四島を産み、次に山の神や海の神など、多くの神を産む。ところがイザナミノミコトは、最後にヒノカグツチノカミ(火の神)を産んだために大火傷を負い、黄泉国に行ってしまう。イザナギノミコトは、黄泉国へイザナミノミコトに逢いに行くが、恐ろしい目に遭って逃げ帰ってきた。そして身体のけがれを洗い清めようとして、『筑紫の日向の橘の小門(小戸)の阿波岐原』へ辿り着いた。日本神話の有名な最初の場面だ。
「阿波岐原とは、青い木が生い繁っている場所という意味なんですよ」と宮崎神話の語り部ボランティアの甲斐亮典さん。日向灘が広がる一ツ葉海岸一帯は、砂丘が海側に移動して出来た隆起岸平野だ。砂丘が小高く隆起し、一帯には照葉樹林が緑濃く生い茂っている。
奈良時代の国衙(役所)のあった西都・妻から、駅のあった江田を通って延びていた。現在の山崎街道にあたる。この街道沿いにイザナギノミコトの禊ぎにまつわる場所が点在している。禊ぎを行ったとされるのが、市民の森の中にある『御池』(みそぎ池)だ。この御池を神域として池の南にある江田神社は、イザナギノミコトとイザナミノミコトを祀る。創建は、837年頃といわれ『続日本後記』に江田神社の名が記されている。
江田神社の北にあるのが住吉神社だ。イザナギノミコトが禊ぎ祓いをするときに、身に着けていた物から様々な神々が転生した。水に浸かったときに転生したと言われる住吉三神を祀り、古来より航海安全や大漁の神として崇められている。
狭い水門や港を意味するという『小門』の地名の名残を残すものに、イザナギノミコトを祀る小戸神社がある。現在、大淀川沿いの鶴島町にある小戸神社はもともと、大淀川河口にあったが、寛文2年(1662)の大津波で移転した。港を守る神様として大切にされていたそうだ。
阿波岐原は、近代的な風景が広がるリゾート地として変貌した。しかし、人々にとって神域であることは、今も変わらない。
(宮崎観光情報旬ナビ)
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