「ハンヤーエー!」威勢の良い文句で始まる「ハイヤ節」。リズミカルで、ついつい体が動き出す。"南風“を"ハエの風“と呼び、やがてハイヤへと訛ったものといわれている。日本中に広がるハイヤ節のルーツは、天草の牛深であったり、長崎の平戸であったりなど諸説あるが、九州が発祥の地であることは「南風」の言葉の意味からも容易に想像できる。
牛深は、良好な港町。海上交通が整備され盛んになった江戸時代中期頃、熊本を中心に唄われていた「二上がり甚句」に、奄美の「六調」といわれる南国特有のリズムが加わった「ハイヤ節」が大流行した。お座敷で風待ち、シケ待ちの漁師達が唄っていたものが、次の港、次の港に伝わっていったといわれる。
昭和30年頃までは、料亭などが建ち並ぶ大歓楽街だった牛深。「ハイヤ節」はお座敷の余興で唄い踊られていた。今でも祝いの席、まんなわし(縁起直し)で唄い躍られる。また、「牛深ハイヤ踊り」は、牛深の春の風物詩として地元の人々に愛されている。
全国に広がった「ハイヤ節」
九州で生まれた「ハイヤ節」は熊本の牛深ハイヤ、長崎の田助(平戸)ハイヤ、五島ハイヤ、佐賀の呼子ハイヤ、鹿児島のハンヤ節など、九州一円に存在し、京都の会津アイヤエ踊り、福井の美山ハイヤ節、山形の庄内ハエヤ節など全国に広まっていった。
そして、新潟の港で越後の《おけさ》の歌詞を「ハイヤ節」の旋律にのせて唄い、新しい「オケサ」になったといわれる。また、徳島の「阿波踊り」も「ハイヤ節」に由来すると言われている。遠くは、北海道(江差餅つき囃子)まで。波に乗り、「ハイヤ節」が世界に広まる日も遠くない。
牛深ハイヤ
○ハイヤエーハイヤ ハイヤで今朝出した船はエー どこの港に サーマ 入れたやらエー
「エーサ 牛深三度行きゃ三度裸 鍋釜売っても酒盛りゃしてこい 戻りにゃ本土瀬戸徒歩(かち)わたり」
○ハイヤエー来たかと 思えばまだ南風(はえ)の風ヨー 風さえ恋路の サーマ 邪魔をするエー
「エーサ 黒島沖からやって来た 新造か白帆か白鷺か よくよく見たればわが夫(つま)さまだい」
○ハイヤエーハイヤ ハイヤで半年ゃ暮らすエー 後の半年ゃ サーマ 寝て暮らすエー
「エーサ どっから来たかい薩摩から 碇も持たずによう来た様だい」
○ハイヤエーとっちゃ投げ とっちゃ投げ三十四五投げたエー 投げた枕にゃ サーマ 罪(とが)はないエー
「エーサ 権現山から後ろ飛びゃするとも お前さんに暇状(ひまじょう)はやいもせんが取いもせん」
○ハイヤエー船は 出ていく帆掛けて走るエー 茶屋の娘が サーマ 出て招くエー
「エーサ おーさやったとん届いたかい 届いて煮て吸って舌焼いたサイサイ」
○ハイヤエー沖の 瀬の瀬にドンと打つ波はエー 可愛い船頭さんの サーマ 度胸さだめヨー
「エーサ 段々畑のさや豆は ひとさや走ればみな走る 私ゃお前さんについて走る」
○ハイヤエーたんと 売れても売れない日でもエー 同じ調子の サーマ 風車エー
「エーサ 魚貫万匹 茂串鯖 宮崎鰹ん骨横ぐわえ 加世浦きんなご逆すごき 天附渡れば室鯵(むん)の魚 三匹(ごん)なめたらどっとした」
○ハイヤエー瀬戸や 松島つけずにすぐにヨー 早く牛深に サーマ 入れてくれヨー
「エーサ そこ行くねーちゃん汚れが伊達かい 汚れちゃおってもかんざしゃ銀だよ 銀のかんざし買うたか貰うたか 貰ちゃおっても買うたと言う」
○ハイヤエー鯛に 鰹に 鰺 鯖 鰯エー 鰤に万匹(まんびき) サーマ 鱶(ふか)の山エー
「エーサ 牛深よいとこ一度はお出で 人情豊かな港町」
○ハイヤエーまつよ まつよで黒島の松エー 上り下りの サーマ 手掛け松エー
「エーサ そろばん枕で考えた 一桁違えば大きな損だよ」
鹿児島ハンヤ節
○ハンヤーエー今夜来やんせ新浴衣着て 宅の六月燈が サーマ 賑ん申そ
○谷山丸木は一挺艫ぢゃのぼらぬ 二挺も三挺も四挺艫で漕つぎやい 漕つぎやい 漕つげば港が近くなる加治木重富 浜の市 米が下らにや広い鹿児島ねつから食わん
○はんやはんやで半年や暮れたな あとの半年や 寝て暮らす
○貴方ばかりにや難儀はさせぬ
難儀するなら 共なんぎ
牛深ハイヤは元ハイヤ!?