山本作兵衛という人が、「子や孫に炭坑の生活や人情をのこしたい」と描いた作品(絵画・日記)697点が田川市などの申請でユネスコ世界遺産に登録されることが決まった(2011年5月)。日本で第一号、国内初である。彼の作品の一部が田川市石炭資料館に展示されている。作兵衛の絵が展示されている田川市石炭資料館を訪ねることは意義がある。今ではホームページや関係の本が沢山あるので、居ながらにして学ぶことが出来る。が、現実のドキュメントを丹念に描いた作兵衛の気持ちに添うには現地で学ぶことに意義がある。同時にかつての炭鉱とは、どうであったのか、その面影などを肌で感じる“実感"が大切である。
資料館2階の展示室、壮観の一言につきる。地の底での限りない人々の力の前にたじろぐ。
ヤマの男の仕事を50年近く務めあげ66歳から絵筆をとって305点の墨絵と278点の彩色を書きあげた。
「ヤマは消えゆく。筑豊524年のボタ山は残る。私も余白は少ない。孫たちにヤマの作業や人情を書き残しておこうと思いたった」(「王国と闇」)。
文章はニガテ、好きな絵なら見てもらえると。
彼の絵の出版は、かっての中小炭鉱の主人仲間から声が上ったと聞いた。
行政ではない。文化人でもない。本当に地域の力が、まさに地の底から湧き上ったところが凄い。流石、筑豊の風土である。
この男たちの「やろう、やろう」という意気込みがなかったら、作兵衛の絵は、ひっそりと資料館に眠っていたかも知れない。
作兵衛さんは私たちの隣にもいるその宝を見つけ出し、世に知らせることが、「宝を磨く」ことであろう。
現地を訪ねてそう思った。