このあたり、まことに高原らしい風景である。霧島が悠然として晴れ渡ってゐる。山のよさ水のうまさ。
西洋人は山を征服しようとするが、東洋人は観照する。私にとって山は科学の対象でなくて芸術品である。私はじっと山を味ふのである。
宮崎神宮へ参拝した。樹木が若くて社殿は大きくないけれど簡素な日本趣味はよい。この町の名物大盛うどんを食べる。一杯たった五銭、お代りするのは、よっぽど大きな胃袋だ。味は悪くも良くもない、とにかく安い。断然他を圧してゐる。
誰も詣る生目社へ私も詣った。小っぽけな県社にすぎないけれど、伝統の魅力か、各地から多くの眼病患者をひきつけてゐる。私には境内にある大楠・大銀杏がうれしかった。つくつくぼうしが忙しくないてゐたのが、耳に残ってゐる。帰途は近道を教へられて、高松橋(渡し銭三銭)を渡り、景清公御廟所といふのへ参詣する。人丸姫の墓もある。
青島を見物した。檳榔樹が何となく弱々しく、そして浜万年青がいかにも生々してゐたのが印象として残ってゐる。島の井戸――青島神社境内――の水を飲んだが、塩気らしいものが感じられなかった。その水の味も亦忘れえぬものである。
久しぶりに海を見た、果もない大洋のかなたから押しよせて砕ける白い波を眺めるのも悪くなかった。
このあたりの山も海も美しい。水も悪くない、ほんの少しの塩分をふくんでゐるらしい。私のやうな他郷の者には、それが解るけれど地の人々には解らないさうだ。生れてから飲みなれた水の味は、あまり飲みなれて解らないものらしい。これも興味のある事実である。
それから鵜戸神宮へ参拝した。小山の石段を登って下る足は重かったが、老杉しんとしてよかった。たゞ民家が散在してゐるのを惜しんだ。社殿は岩窟内にある。大海の波浪がその岸壁へ押し寄せては砕ける、境地としては申分ない古代の面影がどことなく漂うてゐるやうに感じる。
鵜戸神宮では自然石の石だゝみのそばに咲いてゐた薊の花が深い印象を私の心に刻んだ、そして石段を登りつくさうとしたところに名物『お乳飴』を売ってゐる女子供の群のかしましいには驚かされた、まさかお乳飴を売るからでもあるまいが、まるで乳房をせがむ子供のやうだった。残念なことにはその一袋も買へなかったことだ。
秋は収獲のシーズンか、大きな腹をかゝえた女が多い、ある古道具屋に『御不用品何でも買ひます、但し人間のこかしは買ひません』と書いてあった。こかしとは此地方で怠けものを意味する方言だそうな、私などは買はれない一人だ。
けさはまづ水の音に目がさめた。その水で顔を洗った。ながるゝ水はよいものだ。何もかも流れる。流れることそのことは何といってもよろしい。
‥‥そして山頭火は十一月三日、延岡を経て、大分県三重町へ向う。