高千穂郷と阿蘇との歴史上のかかわりをみてみよう。
上古、高千穂には「鬼八」という荒ぶる神が支配していた。神武天皇の兄・ミケイリノミコトが平定した。その有史以前の物語は現代まで語り継がれ、その遺跡は大切に保存され、物語は阿蘇にまで広がっている。
詳細は略すが、鬼八はミコトから体を三つに斬られ、バラバラに埋められた。鬼八の怨霊は霜を降らせるなど農作物に害を与える。
害を除くため鬼八の霊を鎮める「塚」を建てた。三つの「塚」が残されている。「訪ねたい」二つ返事で役場の商工観光課の飯干金光氏が案内してくれた。
一つは、今、城山公園の頂き近くに。二つは旅館・神仙の近くの田の畦に。いずれも道路改修で現地に「大切に移されました」。鬼八は土地の人に崇められ大切に祀られているのだ。三つ目、頭を埋めた「塚」はホテル神州の前、玉垣に囲まれた立派なお墓、「荒振神鬼八」と彫られている。文久元年の文字。
高千穂峡の中にも鬼八の力石や窟がある。
「本拠にしていた乳ヶ窟に行ってみましょう。車で15分位です」。
その名も鬼切畑の集落を通る、黒ヶ谷川、地名までデモーニッシュ、鬼気迫る。昔からの地名が物語の真実味を増す。川原に巨岩が一つ、ミコトが鬼八を斬った、力あまって岩についた刀跡は鋭く深い。
「乳ヶ窟」は集落の字名も「乳ヶ窟」の奥つき、100mほど登りつめる。南向きの日溜まりに見上げるばかりの巨岩。
人がやっと入れる細い裂け目、奥から冷たい風が吹いてくる。入ってみたかったが、恐怖が先に…。
鬼八ツアーのとどめは鬼八退治の主役・ミケイリノミコトを祀る高千穂神社の廻廊の彫刻。見事な浮き彫り。奥つきの神殿で鬼八の霊を祀る「猪掛祭」が(旧12月3日)ある。猪を供え(天正年間まで少女を生贄に捧げていた)両手の笹を振って「鬼八眠らせの歌」の呪文に合わせ「地祇の舞」を納める古式ゆかしい神事だ。
「この笹振り神事が神楽の原形です」後藤俊彦宮司さんから教えて頂いた。
鬼八巡りを終え、私は阿蘇に伝わる鬼八伝説とを思いくらべた。
阿蘇では主役は神武天皇の孫・健磐龍命、鬼八はその家来。鬼八は命の癇癪に触れ高千穂まで逃げ、殺される。
後に「霜宮」(阿蘇市)に祀られ、毎年「火焚き神事」で霊を鎮める。似ているが、高千穂と阿蘇では物語の時代が二代もの隔たりがある。(思うに)阿蘇の鬼八は高千穂ですでに平定された鬼八豪族の末裔だろう。
私は阿蘇で語られる鬼八しか知らなかった。恥ずかしながら、阿蘇が本場だと。歴史や伝説は合わせ鏡で見るとき、深みや奥行きが浮かび上がる。「高千穂0阿蘇と広域圏の鬼八探訪ツアーをすると歴史好きの人は喜ぶでしょうね」飯干さんと語り合ったことだった。
毎日新聞連載(平成14年)
「末吉駿一日向往還を歩く」から