南九州の仮面文化の素晴らしさは、貴重な仮面がいまも伝承され、神楽や神事で使われ続けていることである。実際に足を運び、その地域の歴史と重ねあわせることで、仮面はより多くのことを語ってくれるはずだ。
【宮崎県】
◎米良神楽(西都市/銀鏡神楽、尾八重神楽、木城町/中之又神楽、西米良村/村所神楽)
◎高千穂神楽(高千穂町/三田井浅ヶ部神楽、天岩戸神楽、向山神楽)
◎椎葉神楽(椎葉村/栂尾神楽、嶽之枝尾神楽、十根川神楽、尾前神楽)
◎諸塚神楽(諸塚村/南川神楽、戸下神楽)
◎狭野神楽(高原町/狭野神社)
【鹿児島県】
◎だご祭り(志布志市/山宮神社)
◎夏越祭り(肝付町内之浦/平田神社)※猿田彦・大山祗・金山彦命の三面が行列を先導する
◎せっぺとべ(日置市日吉町/日置八幡神社)※大王殿が先導する
◎トシドン(薩摩川内市下甑)
◎メンドン(三島村/硫黄島)
◎ボゼ(十島村/悪石島)
◎与論十五夜踊(与論町/与論島)
◎諸鈍シバヤ・油井豊年踊(瀬戸内町)
「芸能のルーツはおそらく、日本列島に稲と鉄という新しい文化を持ち込んだ人々、すなわちヤマトにつながる民族が持ち込んだ祭祀儀礼だったろう」と高見さんは語る。それは「天の声をきくこと」であり、「農事や軍事とセットになっていて、その声を聞くことが古代の王の役割だった」のだという。そういえば、今日、芸能の神様とされる天鈿女命は神懸かりして踊り、天照大神を天岩戸から呼び出したばかりでなく、先住民の長である猿田彦命を悩殺し、戦わずして従わせた。
霧島山系以南では、神事の芸能を「神舞」と呼ぶ(他の地方で「神楽」と呼ばれるものは、この地では神事に伴って演奏される音楽を指す)が、鹿児島に日向系(高千穂・旧米良系)の神楽が入る前の中世中期から後期、豪族や武将たちの間では神事能に近い「立願・報賽の舞」が行われていた(所崎平著『藺牟田神
舞』)。
戦国時代まで、武将たちは星や天候を占ってから戦をしたり、戦いの前と後に神楽を舞わせたりしたというが、それは、この神事能に近いものだったのかもしれない。神を信じなかったとされる織田信長でさえ、陣中で勝利を祈り、舞を奉納させている。政と芸能は、千数百年もの間、密接な関係にあったのだ。
南九州には神事能の時代に使われたのでは、と思わせる古い面が多く残存するのも興味深い。