自然景観はもちろん、かけがえのない文化財・歴史的環境も国民的な財産ということでは、貴重であることにかわりはない。時にはそれが一軒の家であることもある。そして、それらを保全し、利用活用しながら後世に継承していこうと、各自治体は取り組んでいる。さらに昭和50年
(1975)からは「町並み」も文化財として選定されるようになった。
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まず、世界のARITAを例に引こう。有田といえば、もちろん陶磁器の町として有名である。しかし、町並みとしては古いたたずまいがあるのにもかかわらず、町並みとして注目されるということはほとんどなかった。ところが、平成3年に国の「重要伝統的建造物群保存地区」の選定をうけると、にわかに町並み自体が注目されるようになってきた。
有田は、人口2万2300人、面積約66平方キロメートル、佐賀県の西に位置する町である。文禄・慶長の役を期に、朝鮮陶工の李参平らが有田に故郷に負けない良質の土を発見したことから、陶磁器産業が興った。また、酒井田柿右衛門一族も影響を与え、今日の陶磁器の町となった。
有田の町並みは白壁で、妻入りの家が多いが、レンガ造りや洋館などもあり、変化に富んでいる。この新旧、また伝統と改革は、陶磁器の作風の模索・あり方がそのまま有田という町並みの姿になって表れているといっていい。
有田焼独特の赤絵付けの技法を行う職人たちが住んだ赤絵町(この地名も有田ならではのもので、歴史も伝統も、そこに暮らす人々のぬくもり、表情まで伝わってくるようで、なんともいい)、このあたりを歩くと窯元の煙突が見え、裏道に入ると、有田ならではの風物、トンバイ塀が続く。トンバイというのは、語源は中国で、登り窯を作るときに使った耐火煉瓦のことをいう。使わなくなったトンバイのかけらなどを集めて土で固めて作った塀をトンバイ塀という。昔は製造技術の秘密を守るという目的もあり、高く積まれていたという。トンバイ塀も古いものから新しいものまでさまざま。また、薪の松脂、釉薬などが飛び散って不思議な色になり、これがほかにはどこにもない町並みを有田に作った。