①出水市
出水市は北薩の政治・経済・交通・文化の中心都市。島津氏が統治していた頃も、北辺の要地として地頭が派遣されていた。かつて、寛政の三奇人の一人といわれた高山彦九郎が肥薩国境の野間関所を訪れた時でさえ、薩摩への入国は許されなかった。
「薩摩人いかにやいかに苅萱の関もとざさぬ御代と知らずや」
という一首を残して、高山は踵を返さざるを得なかった。
また、肥後と薩摩の境を流れる川に袋川がある。薩摩側の川沿いに「切通」という集落があった。地名のいわれは川をわたることが出来るか、出来ないか。「切るか、通すか」ということからだという。それほど、薩摩の国を守るガードは厳しく、強いものがあった。
②薩摩川内市
薩摩川内市街地は九州三大河川のひとつ、川内川の河口にある水郷。
山の形が亀に似ている神亀山には新田神社がある。古くは一の宮八幡といい、九州五所八幡宮のひとつとしてあがめられていた。この神社の秋の例大祭は喧嘩祭りとも言われ、綱引きの争いが夜を徹して行われる。この綱引きの綱は365メートルにも及ぶ巨大なものである。
大小路にある泰平寺は、豊臣秀吉が九州征伐に当たって本営としたところ。秀吉はそこから、近くの諸城を攻略したが、平佐城主・柱神祇坊忠防は水軍の先鋒で、小西行長、加藤清正と戦うこと、数ヶ月に及んだという。
島津義久は戦いが不利と見ると和睦を乞うた。義久と秀吉、両雄の会見の歴史を語る和睦石が今も残る。
水郷・薩摩川内市は美しい川の流れとともに、長い歴史の流れのなかですぐれた名勝旧跡が数々残る景観の地である。