地名も菅原一丁目として残っている。道真はこの一帯の寺に一夜の宿を求めたが、後難を恐れ、朝の一番鶏が鳴くまでならと泊めた。夜の明けぬうちに「コケコッコー」と鳴く声を真似て追い出したという。その罰が当って、以後この地では鶏が育たなくなった‥‥という。 境内には道真が手を洗ったという手洗池がある。この池の水で墨をすり書を書くと上達する御利益があるといわれている。
中央区天神にある道真公を祇る天満宮。長い旅の末、博多に上陸した道真公が水鏡に姿を映したという由緒により水鏡天神と称された。長旅の末、今和泉付近で菅原公は清流に自分の姿をうつし、やつれ果てたわが身を見て「自分の魂はこの世に留まり、後世にわたって無実の罪に苦しむ人の守り神となろう」と嘆いたといわれる。その地に社殿が造立され、水鏡天神、あるいは姿見天神とも称した。その後福岡藩主・黒田長政によって福岡城の鬼門にあたる現在地に移された。太宰府へ到る道真ゆかりの地で、参拝者は多い。鳥居の扁額の文字は福岡出身の広田弘毅(元総理大臣)が小学生のとき書いたもの。
ご存知天神町。近くに水天宮があることから名がついた。名の由来は道真=天神さんにあることを知る人は少ない。天神町の交差点の信号の音楽は♪♪通りゃんせ‥‥ここはどこの細道じゃ、天神さまの細道じゃ‥‥♪♪。まさにぴったりの演出効果だが、その音と、天神と道真を結びつけて歩く人がどれくらいいるだろうか。
太宰府天満宮境内にあり、菅原道真がこの地に来た901年から903年に亡くなるまで謫居していたところ。当時府の南館だったといわれる。1023年(治安3年)、大宰大弐藤原惟憲(だざいのだいに・ふじわらのこれのり)が菅原道真の霊を弔うために浄妙院を建立したのが最初で、境内に榎の樹があったことから後に榎寺と呼ばれるようになった。現在は榎社と呼んでいる。