大竜寺は、島津義久に仕えた南浦文之によって、開かれた寺。もとは、島津貴久によって築かれた内城があった。島津貴久、義久の時代、約50年この地を本城として九州に勢力を広げていった。島津家久の代に鶴丸城が築かれると、廃城となり、その跡地に大竜寺が開かれた。文之の著した「鉄炮記」には種子島に伝わった鉄砲に関する貴重な歴史的資料として評価されている。
種子島と鉄砲の関係は既にストーリーで述べた通りで偶然漂着したポルトガル船に由来するが、もともと種子島はその地の利をもとに文化・文明のクロスロードの地であった。海の戦国大名の種子島氏は、境港とも直結し、京から文化を移入し、一方では琉球との交易も盛んであった。鉄砲を作った八板金兵衛は刃物の町・岐阜県関市からの移住人であり、高い鍛冶技術を有していた。
鉄砲伝来に伴う悲劇のヒロイン若狭姫を偲んで名づけられた公園。特有のブーゲンビリア、ハイビスカスの花が咲き競う高台。若狭を偲ぶ海音寺潮五郎の歌碑が建つ。
若狭の墓は、この公園から400m離れた雲之城にある。
南蛮船をイメージした外形で、主に鉄砲伝来の歴史と当時の島の暮らしが語られている。収蔵資料は約8,000点。ポルトガルの当時の鉄砲、鍛冶八板金兵衛が作った国産第1号の火縄銃などが人目をひいている。
館内にはロケットや人工衛星の模型などを展示。屋外には、N-1型ロケットの実物大模型もある。また、スペースシャトルと宇宙ステーションのドッキングゲームや月体重計などのシミュレーションゲームもあり、楽しみながら宇宙と最新技術を学習することができる。