天文一二年(一五四三年)八月二五日、種子島の南端に一隻の異国船が漂着した。
当時の島主、一六歳の種子島時尭は城下の赤尾木港(現在の西之表市)に回航を命じた。このとき乗組員のポルトガル人から"鉄砲“二挺を二〇〇〇両で買い上げたのである。
若い島主は、轟音とともに遙か遠くのものを撃ち殺すこの不思議な武器に夢中となり、島内で同じものを作製したいと考えるようになった。その命を受けたのが、種子島鍛冶の棟梁で名人といわれる刀工、八板金兵衛清定であった。名人金兵衛にとって、それは困難だがやり甲斐のある大仕事である。
時尭から与えられた一挺の鉄砲を、金兵衛は細心の注意を払って分解し、ひとつひとつの部品をあらゆる角度から綿密に研究しはじめた。こうなると、名人気質には夜も昼もなく、文字どおり仕事に没頭した。
こんな金兵衛を優しくいたわり、励まし、まめまめしく世話するのが、金兵衛のひとり娘の若狭で、美しい顔立ちそのままに、心も優しい乙女だった。
ひと月、ふた月……金兵衛の努力はひとつひとつ実を結び、やがて実物とほとんど変わらない鉄砲が完成した。だが、試射の結果は思わしくなかった。うまく点火せず、ようやく点火すると、こんどは銃身にひびがはいってしまった。
しかし、どうしてもうまくいかない。銃身の底を、火薬の圧力に堪えられるように強く塞ぐ方法がわからないのである。
さすがの名人金兵衛も困り果て、やむなく異国船のポルトガル人にその製法の伝授を乞うた。するとポルトガル人は、「若狭を嫁にくれるなら、製法を教えよう」
と交換条件を持ち出してきた。金兵衛は憤然としてはねつけた。可愛いひとり娘を、何で南蛮人などにやれるものか……金兵衛は必死になって工夫を凝らした。だがどうしてもうまくいかない。
時尭からはしきりに催促がくる。焦躁と苦悩に、金兵衛の頬は目に見えて肉が落ちた。父の憮悴ぶりを心配して、若狭は何度もわけを尋ねたが、金兵衛は何もいわなかった。
そのうちに、真相が若狭の耳にはいってしまった。(南蛮人が私を…・。父はそのために……)
一七歳の若狭は思い悩んだ。南蛮人に身を委ねるのは死ぬよりも辛いことだった。しかし鉄砲製作に憮悴し切った父の姿を見ると、ついに若狭の心は決まった。(父のために、異国人の妻となろう……)
やがて銃底を塞ぐ法を伝授された金兵衛の手によって、国産第一号の鉄砲が完成した。
一方、ポルトガル人の妻となった若狭は、間もなく日本を去ったが、翌天文一三年再び異国船に乗って夫のポルトガル人とともに種子島を訪れ、父と再会し、数日を生家で過ごした。このとき金兵衛は一計を案じ、若狭が急死したと偽って葬式を出したが、夫のポルトガル人はそれを見抜き、憤慨しつつ島を去ったという。
「日本の伝説 南九州/沖縄」
教育図書出版山田書院刊