西米良村から招かれて講演に行った。ほとんど全九州を知っている私なのに、恥ずかしながら「西米良」のことは知らなかったし、一度も訪ねたことはなかった。
熊本県、市房山、湯前町と背中合わせ、かつては難所だった峠も、トンネルのお陰で早くなった。湯前から20分で西米良に車が入った。川が流れている。緩やかに。朝早く熊本を出たので、折しも登校時、小、中学校が三々五々学校へ向っていた。日本中どこでもある当たり前の毎日の風景だ。
それから先が違った。
行き交う児童、生徒達が、立ち止まって、私たちの車に対して帽子をぬいでお辞儀をするのだ。
最初は、私の車の後ろにお偉い人がいるのか‥‥と思ったほど。
歩いている時ではない。車で通っているのに。
では、対面でなく、子供の列を後ろから追い越したときはどうか、これが「この世のもの」でない。行き過ぎた車に対しても帽子を脱いで頭を下げる。大げさな表現ではない。本当だ。
大変な洗礼を受けた。
三セクの宿舎に泊った。風呂に入った。湯舟に入る私に、先に入っていた子供たちが、立ち上がって「今晩は」と迎えてくれた。可愛いオチンチンが目の前に並んだ。
宿のコーナーには、西米良とゆかりのある菊池氏(熊本県菊池市)のコーナーが設けてあった。その夜は、どうしてこのような躾がなされたのか疑問で眠れなかった。
翌日、町長さんや教育長さんに聴いた。
「本当ですね、誰も教えていません。遅刻するんじゃないかと心配するほど、キチッと挨拶します。菊池さんの無言の教えでしょうか‥‥」とこともなげに話された。
凄い地域だと思った。
× ×
その西米良が、童話の里づくりを始めた。童話街道も出来ていると聞く。年に一度、語り部が、童話を話してくれる。優秀観光地づくり賞(日本観光協会主催)も受けた。
私は、子供たちの、行き交う人への挨拶が童謡そのものだと思う。
まさに現代の童話の世界が西米良にあった。
詳細は略すが、菊池家の一族が戦乱の時、米良山中に棲みついた。里人ともに暮した。維新にあたって、最後の米良城主・菊池則忠は領内の山林を全村民に与えた。(東西米良村、三財村・寒川〈元西都市〉)
今、菊池則忠を顕彰する「菊池記念館」が村民の力で建てられ像も建っている。
× ×
そのことを体験して、もう一度、西米良に行った。
子供たちの挨拶のさまは、以前と同じで乱れがなかった。
世の人よ、ぜひ、訪れてほしい。何かを汲みとってほしい。
おいしい料理を食べるのも、史蹟に触れるのも旅だが、旅とは、こんなかけがえのない、いつまでも心に焼きつくことに触れるのが、旅の功徳とも思うが‥‥。
(末吉駿一記)
菊池則忠像(肥後の菊池へ下向した第一代菊池則隆から39代に当る)