10数年前、古ぼけた一枚の写真が世間を騒然とさせたことがある。
「フルベッキの写真」と称されたその写真は、幕末の長崎で撮影されたものとされ、30数名の若い志士たちが写っている。驚いたことにその顔ぶれは、西郷隆盛、勝海舟、桂小五郎、大久保利通、伊藤博文、陸奥宗光、高杉晋作など、明治維新の立役者たちがほとんど勢ぞろいしているものだった。
この写真そのものの真偽についてはさまざまな論争があり、撮影の時期が各人の状況と合致しない(たとえば勝海舟は当時東京で蟄居中だった)ことから、ほぼ偽物と判断されているが、この写真の中央に写るフルベッキという人物は本物である。
オランダ生まれで、宣教師として安政6年に来日し、当時佐賀藩の管轄だった長崎で日本青年たちに英学を教える。その筆頭が大隈重信で、フルベッキに大きな影響を受け、自らも私塾「致遠館」を開いてフルベッキを校長に迎えた。これが早稲田大学の前身といわれている。その後大隈らと上京したフルベッキは、明治政府の翻訳顧問などを務めて生涯を日本で送っている。
佐賀藩10代藩主直正は隠居後に病弱となったが、その治療に長崎から訪れたのはオランダ医ボードウィンであった。
kmの石垣である。
九州の南の雄・薩摩藩も、幕末には造船や製鉄、紡績業といった近代産業の礎が導入されたが、ここでもイギリスから招かれたイー・ホーム、シルリング・ホールド、ジョン・テットローら7名の技師たちが活躍している。「尚古集成館」近くに建つ「異人館」は、当時彼らが宿舎としていた洋風建築物だ。
確かに、幕府をはじめ諸藩が招聘した外国人たちには、その働きに対して高額の報酬も支払われたことだろう。
しかし、彼らがそれぞれの仕事に傾注し、多くの功績を遂げたのは、決してその報酬のみのためではなかった。日本人の勤勉さ、向学心、礼節、それらを信頼でき、彼らとともに新しい日本の産業や文化、国土造りに参画したいという情熱が、外国人たちを仕事に没頭させたのである。