『一の太刀を疑わず』または『二の太刀は負け』といわれ、一撃必殺の兵法をとる示現流。第十八代島津家久の時代に東郷重位によって確立された。薩摩藩お家流とされ、薩摩士風養成に重要な役割を果し、その精神は明治維新の原動力にもなった。示現流兵法所史料館で歴史などを学ぶとともに体験もできる。
西郷南洲顕彰館は、西郷隆盛(南洲翁)を中心とする明治維新の先覚者たちの国家・社会に尽くされた偉業を学ぶことが出来る。ジオラマなどでわかりやすく当時の様子が再現されている。別館には南洲と大久保甲東の書が展示されており、関係書籍が2000冊所蔵されている。
中国や琉球等の交易の軌跡、一乗院を中心とした坊津の仏教文化や民俗史料など坊津の歴史を紹介。示現流の資料も収蔵。
かの宮本武蔵(新免武蔵藤原玄信)が、晩年、肥後藩主細川忠利にかかえられ、熊本の地で完成させたものが二天一流だ。右手に大太刀、左手に小太刀の二刀をもつという特有のスタイル。その兵法理念の「五輪書」は、霊巌洞で記された。
「流とは師の癖である」といわれ、刀の流派には様々なものがあるが、景流とは猿が木の枝を打ち払っていた姿からあみだしたとされる。景流は伯耆流が母体とされるが、秋月に伝わり、それが柳川藩へ伝承された。定寸(2尺3寸)と長剣(2尺8寸~3尺6寸)を使うものと2つに大別される。
柳川藩主四代、立花鑑虎(たちばなあきとら)の別邸。洋館と和館、御花資料館(殿の蔵)で構成され、その大部分は明治42年に造られたもの。名勝・松濤園(しょうとうえん)は宮城県の松島を模して造られた美しい庭園。
関が原の戦いで功績のあった細川忠興が小倉城の原型を造ったといわれる。細川家が肥後へ転封されて後は小笠原忠真が入封。九州の街道の起点として重要な役割を果たした。「唐造り」の天守閣、野面積みの石垣は威風堂々としたものだ。現在の天守閣は昭和34年に再建されたもの。
武蔵と小次郎の決闘の地として有名な巌流島。正式名称を「船島」という。敗れた小次郎の流儀「巌流」をとって巌流島と呼ばれるようになった。関門海峡に浮かぶ周囲1.6kmの小さな島だ。現在は海浜公園として整備され、関門海峡を行き交う船を望むことができる。