三池炭鉱 宮原坑

世界文化遺産 石炭産業
三池炭鉱宮原坑

三井に払いさげられた最初の炭鉱は地下水との戦いから始まった。
1888年(明治21年)三池炭鉱は明治政府から三井に払い下げられました。すでに明治初期から三池炭鉱は官営で操業がなされ、採炭されていましたが、深くまで掘り進んだことで湧き水があふれ対策が必要でした。排水を主目的として宮原坑が掘削される計画でしたが、三井の責任者となった團琢磨が宮原坑第一竪坑を1895年(明治28年)年2月に着工します。当初は地下水との戦いが続き、3年後の1898年(明治31年)には排水、揚炭のための坑外設備が完成。その後は順調に揚炭・入気・排水・人員昇降その他を兼ねる主力坑として年間40~50万トンの出炭を維持できるように大きく改善していきました。

1898年第一竪坑の成功、更に1901年には第二竪坑を完成させる。
次々に難題を克服し竪坑を完成に導いていった團琢磨は、工部省三池鉱山局勤務だった1888年30歳の時に、三井に炭鉱が払い下げられたため一旦失職します。旧三井物産社長の益田孝の招聘で三井三池炭鉱に入社することになり、翌年、三池炭鉱社を組織し團は総責任者の事務長に就任。MIT(マサチューセッツ工科大学)で修めていた鉱山学・治金学(MITを1878年・明治11年卒業)、さらには湧き水対策を学ぶために欧米各国の炭鉱施設を視察した経験などを活かし、怒涛の如く三池炭鉱の総合開発・近代化・合理化を進めていきました。

明治日本の産業革命は石炭エネルギーで加速していった。
團琢磨は1891年蒸気機関車による三池炭鉱専用鉄道を開通させ炭鉱開発に着手。1898年の三池炭鉱宮原坑を皮切りに、万田坑、三池港築港と次々に近代化を進めていきました。
日本は海外の脅威にさらされたことから国を守るための富国強兵に乗り出し、金属を溶かす溶鉱炉・反射炉から始まり蒸気で動く機関車、汽車、蒸気で進む軍艦、輸送船、電力を作るタービンなどを造っていきました。これらの燃料の大半を石炭が担い、三池炭鉱の成功を機に全国各地で炭鉱ブームが起き、わずか50年余で国を護る力を有り余るほどに持つことができるようになりました。

住所 大牟田市宮原町1-86-3
お問い合わせ 大牟田市世界遺産・文化財室
電話:0944-41-2515
FAX:0944-41-2552
利用料金 無料
定休日 月曜(祝日の場合は翌平日)、年末年始
利用可能時間 9時30分~17時(最終入場16時30分)
駐車場 有(専用駐車場 50台)
ホームページ https://www.miike-coalmines.jp/miyanohara.html

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