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【セレクション】城好きは必訪!歴史に触れる九州の名城・城跡5選

見た目が美しいだけでなく、そこに秘められた歴史や運命に惹かれ、「城マニア」と呼ばれる方々もいるほど人気の高い日本の城。城めぐりのガイド本の中には、20万部を超えるベストセラーになっているものもあるのだとか。数あるお城の中から、美しい天守閣を持つお城だけでなく、城跡となっても尚その雄大さを感じさせ、多くの人を惹きつけてやまない九州の名城・城跡の魅力をお伝えします。

九州のお城① 福岡城跡(福岡県福岡市)

福岡市の中心地に近く、桜や蓮の名所としても知られる福岡城。別名舞鶴城とも呼ばれ、本丸・二の丸などが非常に美しい石垣造りの、九州随一の巨城です。石垣には小早川隆景が築いた名島城、元寇防塁、古墳など、さまざまな時代の歴史を刻む石が使用されています。 現在は城跡になっており、舞鶴公園と大濠公園に分かれています。初代藩主は関ケ原の戦い後に豊臣秀吉から52万石を与えられた黒田長政。天才軍師として名をはせた父、黒田如水(黒田官兵衛)と共に筑前国福岡に入り、慶長6年(1601)から7年の歳月をかけて築城しました。
写真提供:福岡市
築城の大家と言われる黒田如水の才を活かし、石垣と水を有効に使った堅固な縄張り(設計)は、熊本城を造った加藤清正にも賛嘆されたと言われています。
写真提供:福岡市
また、城内で1987年12月に鴻臚館(国指定史跡)が発見され、奈良・平安時代に遣唐使らを接待していた古代からの国際都市の片鱗を「鴻臚館跡展示館」で観ることができます。 明治通り沿いにある謎の階段を降りると、地下に埋もれた福岡城外堀の石垣跡を見られるのもレアな体験(毎週土日10:00~17:00、12/29~1/3除く)。周辺には城下町の名残が多く見られ、敵兵を想定してあちこちへ曲がる大名(町名)の路地を実際に歩いてみるのも一興です。

九州のお城② 名護屋城跡(佐賀県唐津市)

写真:佐賀県立名護屋城博物館所蔵
平成18年(2006)には100名城にも選定された城跡です。国内統一を果たした豊臣秀吉が海外進出をめざし、天正20年(1592)の朝鮮出兵のために築城した名護屋城。以降7年に渡る文禄・慶長の役で、朝鮮侵略の根拠地となりました。 豊臣秀吉着陣に伴い、名護屋城には加藤清正、小西行長といった九州大名のほか、徳川家康、前田利家、足利義昭、伊達政宗、石田三成など錚々たる大名たちが全国から続々と集結。周辺の山々のいたるところに陣屋をつくり、その総数は130ヶ所以上にも及びました。
写真:佐賀県立名護屋城博物館所蔵
壮大な規模の城にも関わらず、築城の知識にも長けていた黒田如水(官兵衛)の縄張りのもと、加藤清正や小西行長ら九州の諸大名の割普請によって、わずか5か月で完成させたと言われています。 慶長3年(1598)に秀吉が亡くなり文禄・慶長の役が終わると廃城となり、城の建物は今は残っていませんが、当時の城郭史を知る貴重な遺跡である名護屋跡と陣跡は、現在国の特別史跡として保護され、発掘調査なども進んでいます。
写真:佐賀県立名護屋城博物館所蔵
発掘調査では、豊臣秀吉の屋敷跡から茶室跡も発見されたのだとか。この地で秀吉が見ていたのは、いったいどんな未来だったのでしょう。
写真:佐賀県立名護屋城博物館所蔵
名護屋城跡に隣接する佐賀県立名護屋博物館では、文禄・慶長の役や、日本列島と朝鮮半島との長い交流の歴史について、貴重な資料を展示しています。

九州のお城③ 岡城跡(大分県竹田市)

文治元年(1185)大野郡緒方荘の武将緒方三郎惟栄(おがたさぶろうこれよし)が、兄源頼朝の怒りを買った弟、源義経を迎えるために築城したと言い伝えられている岡城。東京ドーム22個分という広大な面積を持ち、海抜325mの地に築かれた城で、かつては難攻不落の天然の要塞として恐れられていました。明治維新時の廃城令によって破却された後も、それまでのロマンを伝えている城跡の一つです。天正14年(1586)から翌年の豊薩戦争では、島津家の3万7000人もの大軍が攻めてきましたが、わずか18歳の城主志賀親次(親善)が1,000名で城を守り抜き、その見事な戦いぶりに豊臣秀吉から感状を与えられたのだとか。
現在城の姿はありませんが、残されている城郭は、文禄3年(1594)に播州三木から入部して明治まで岡藩を統治した中川公によって拡張されたものです。第5代藩主中川久通は、城の北側にある断崖に弦長約3mの三日月をくり抜き、そこに明かりを灯して月見の宴を楽しんだと言われています。
少年時代を竹田で過ごした瀧廉太郎が、歌曲「荒城の月」の構想を練ったと言われ、現在も風流な雰囲気を残す岡城跡。毎年4月上旬に行われる「岡城桜まつり」では桜と行き交う大名行列を、秋には見事な紅葉を楽しむことができます。
岡城阯(岡城跡)

大分県竹田市大字会々1650番地

https://www.visit-oita.jp/spots/detail/4438

九州のお城④ 島原城(長崎県島原市)

五層の白く美しい天守閣が青空に映える島原城。元和4年(1618)から約7年の歳月をかけて、松倉重政により築城されました。初代城主の松倉重政は、関ケ原の戦いで武功を挙げ、徳川家康にも認められた武将として、またキリシタン教徒への厳しい弾圧を行った人物としても知られています。
この弾圧が引き金となり、日本史上最大とも言われるキリシタン教徒による一揆「島原の乱」が起きますが、その際も島原城はびくともしなかったそうです。築後390年にもなる石垣は、今も優美でありながら力強く、堂々たる姿を保っています。 現在、天守閣の内部は資料館となり、キリシタン関連史料、郷土・民俗史料などを紹介し、島原の歴史と文化を今に伝えています。また、松平重政、天草四郎時貞など島原ゆかりの武将に扮した「島原城七万石武将隊」による演舞披露といったちょっと変わった楽しみ方も。島原の歴史や観光についても教えてくれるそうなので、お見かけしたら声をかけてみては。
島原城の周りには武家屋敷があり、中央の水路には豊かな湧き水が流れています。
島原城

長崎県島原市城内1丁目1183-1

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九州のお城⑤ 鹿児島(鶴丸)城跡(鹿児島県鹿児島市)

この地の歴史を語る上で外すことのできない島津氏。九州各地でその存在を知らしめ、徳川幕府をも驚愕させる多くの英傑を生みました。そして、後の島津家第18代当主・初代藩主となる島津家久が、慶長6年(1601)頃から築城したのがこの鹿児島城です。鶴が羽を広げたような姿をしていたことから、現在は鶴丸城という名で親しまれている城跡です。
西南戦争の舞台となり、徳川13代将軍家定の御台所で、江戸城無血開城に大きな役割を果たした篤姫が江戸城に入る前に過ごした地としても知られています。石垣には、今でも西南戦争時の生々しい弾痕が確認できる箇所も。現在、本丸跡には県の歴史資料センター「鹿児島県歴史資料センター黎明館」が建てられており、明治6年(1873)の火災により焼失してしまった正門「御楼門」を復元する工事も進んでいます。
そして、鹿児島城の背後にそびえる城山は、西南戦争最後の決戦の地に。山頂には城山展望台があり、鹿児島市街地や錦江湾、桜島などを臨むことができます。
城山にある、西郷隆盛が最期の夜を過ごしたと言われる西郷隆盛洞窟
鹿児島城(鶴丸城)御楼門

鹿児島県鹿児島市城山町7-2

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お城めぐりで往時の歴史に触れよう

城にも人にも歴史あり。年々発掘調査なども進み、歴史の新事実が見つかっている場所も。写真や映像で見るだけでなく、実際に訪れてその場所を歩いてみることで地の利なども感じることができる「日本の城」を、戦国武将や当時の人々に思いを馳せながらぜひ巡ってみてはいかがでしょうか。

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