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こんなにあります!九州の日本遺産

日本遺産ってご存知ですか?今、日本各地で「日本遺産」というものが認定されています。九州は、2018年3月現在9つのテーマで日本遺産で認定されています。それらをご紹介!

日本遺産ってご存知ですか?

今、日本各地で「日本遺産」というものが認定されています。日本の文化財や伝統文化を地域の活性化に活かすためには、その歴史的経緯や地域の風土など、世代を超えて受け継がれているストーリーを下敷きにしたパッケージ化が必要です。「伝承」「風習」などに留められてきたお話や有形・無形の文化財をしっかりとストーリーの中で語ることで、その土地の魅力を発掘し、新たな観光資源にしよう、という取り組みです。
文化庁では、地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として認定し、ストーリーを語る上で不可欠な魅力ある有形・無形の様々な文化財群を総合的に活用する取組を支援しています。

日本遺産は、(地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として文化庁が認定するものです。
ストーリーを語る上で欠かせない魅力溢れる有形や無形の様々な文化財群を、地域が主体となって総合的に整備・活用し、国内だけでなく海外へも戦略的に発信していくことにより、地域の活性化を図ることを目的としています。
世界遺産登録や文化財指定は、いずれも登録・指定される文化財(文化遺産)の価値付けを行い、保護を担保することを目的とするものです。一方で日本遺産は、既存の文化財の価値付けや保全のための新たな規制を図ることを目的としたものではなく、地域に点在する遺産を「面」として活用し、発信することで,地域活性化を図ることを目的としている点に違いがあります。
(引用元:文化庁ホームページ/http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/nihon_isan/
 
九州は、2018年3月現在9つのテーマで日本遺産を獲得しています。
9つのストーリーを、少しずつご紹介します。「せっかく旅行で訪れるのだから、ちょっと歴史にも触れてみたい」、という際の参考にしてみてくださいね。

近世日本の教育遺産群-学ぶ心・礼節の本源-
/大分県日田市ほか

日本では、近代教育制度の導入前から、支配者層である武士のみならず、多くの庶民も読み書き・算術ができ、礼儀正しさを身に付けるなど、高い教育水準を保ってきました。
その理由は、藩校や郷学、私塾など、様々な階層を対象とした学校の普及による影響が大きいと考えられており、明治維新以降のいち早い近代化の原動力となりました。また、現代においても、学問・教育に力を入れ、礼節を重んじる日本人の国民性として受け継がれています。江戸時代に開設された全国の私塾の中で、「廣瀬淡窓」が開いた大分県日田市の「咸宜園(かんぎえん)」が構成文化財として認められました。
日本最大の私塾「咸宜園跡」。廣瀬淡窓が創設した近世日本最大規模の私塾跡です。 
○九州の構成文化財:大分県日田市
1.咸宜園跡
2.日田市豆田町(私塾咸宜園と共生した町並み)
3.廣瀬淡窓旧宅及び墓
(廣瀬淡窓の人間形成に大きな影響を与えた旧宅と塾主らの墓)
4.長福寺本堂(淡窓が最初に開いた寺院の本堂)
5.桂林園跡(咸宜園の前身である私塾跡)
6.咸宜園関係歴史資料
[参考:https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/stories/story001/]
杵築市・日田市 城下町散策

(サンドイッチ型城下町)大分県杵築市 (豆田町・咸宜園)大分県日田市

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古代日本の「西の都」~東アジアとの交流拠点~
/福岡県太宰府市

7世紀後半、大和朝廷は那の津の官家(みやけ)をここに移し、奈良・平安時代を通して、九州を治め、日本の西の守り(防衛)、外国との交渉の窓口となる役所(大宰府)としました。その規模は平城京、平安京に次ぐ大きなものであったそうです。この大宰府政庁を中心としたこの地域は、東アジアからの文化、宗教、政治、人などが流入・集積するのみならず、古代日本にとって東アジアとの外交、軍事の拠点でもあり、軍事施設や都市機能を建設するのに地の利を活かした理想の場所であったとされています。
現在も大宰府跡とその周辺の景観は、当時の面影を残しており、宗教施設、迎賓施設、直線的な道や碁盤目の地割跡などは、1300年前の古代国際都市「西の都」を現代において体感できる場所です。
国特別史跡・大宰府跡…1300年前に設けられた九州の政治・文化の中心であり、日本の外交、対外防備の先端拠点であった大宰府の中枢です。
○構成文化財:福岡県太宰府市
大宰府跡、客館跡、大野城跡、水城跡、観世音寺・戒壇院、筑前国分寺跡、大宰府学校院跡、国分瓦窯跡、宝満山、梵鐘、太宰府天満宮、太宰府天満宮神幸行事、太宰府天満宮の伝統行事、万葉集筑紫歌壇、大宰府条坊跡、官道、軍団印出土地[御笠団印・遠賀団印]、般若寺跡
南館跡、太宰府の梅
[参考:https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/stories/story016/]

国境の島 壱岐・対馬・五島 ~古代からの架け橋~
/長崎県(対馬市、壱岐市、五島市、新上五島町)

全国でも一番島の数が多い長崎県では、日本本土と大陸の間に位置することから、古代より大陸と本土を結ぶ海上交通の要として、交易・交流の拠点となってきました。
朝鮮半島に近いため、弥生時代には壱岐は海上交易で王都を築きました。また、対馬は中世以降の朝鮮との貿易や外交の中継拠点、迎賓地として栄えました。
五島列島は遣唐使の最終寄港地として空海や最澄が上陸したと言われています。
その後、中継地としての役割は時代とともに薄くなっていきましたが、古代住居跡や城跡、庭園など、当時の興隆を物語るものが今も多く残っています。また、民俗行事や麺類・焼酎などの特産品などにも国境の島ならではの異国文化との融和と衝突の軌跡が感じられる地域です。
(一社)長崎県観光連盟提供
三井楽 (みみらくのしま) 五島市
日本の西の最果てにある五島市福江島の北西部に位置します。遣唐使が派遣された時代、東シナ海を横断し、唐を目指す直前の最終寄港地となった場所です。
○構成文化財:長崎県(対馬市、壱岐市、五島市、新上五島町)
壱岐市:原の辻遺跡、長崎県原の辻遺跡出土品、長崎県笹塚古墳出土品、長崎県双六古墳出土品、勝本城跡、内海湾、岳ノ辻、カラカミ遺跡、生池城跡、壱岐古墳群:笹塚古墳
対馬市:金田城跡、対馬の亀卜習俗、豆酘の赤米行事、対馬藩主宗家墓所、万松院の三具足、銅造如来坐像(黒瀬観音堂)、清水山城跡、金石城跡、旧金石城庭園、朝鮮国信使絵巻、対馬藩お船江跡
五島市:三井楽、明星院本堂、ともづな石
新上五島町:日島の石塔群、遣唐使史跡、山王山、青方神社
[参考:https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/stories/story017/]
 
みみらくのしま(日本遺産)

長崎県五島市三井楽町

/event/?mode=detail&id=9999900048818

相良700年が生んだ保守と進取の文化 ~日本でもっとも豊かな隠れ里―人吉球磨~
/熊本県(人吉市、錦町、あさぎり町、多良木町、湯前町、水上村、相良村、五木村、山江村、球磨村)

人吉球磨の領主相良氏は、急峻な九州山地に囲まれた地の利を生かして外敵の侵入を拒み、日本史上稀な「相良700年」と称される長きにわたる統治を行いました。その中で領主から民衆までが一体となったまちづくりの精神が形成され、社寺や仏像群、神楽等をともに信仰し、楽しみ、守る文化が育まれたそうです。
同時に進取の精神(自ら困難な課題に果敢に挑戦すること)をもってしたたかに外来の文化を吸収し、独自の食文化や遊戯、交通網が整えられました。保守と進取、双方の精神から昇華された文化の証が集中して現存している地域は他になく、日本文化の縮図を今に見ることができる地域であり、司馬遼太郎はこの地を「日本でもっとも豊かな隠れ里」と記しています。
©濱田喜幸
多良木相良氏関係史跡。相良氏が入国した後の鎌倉時代から室町時代中頃までは、相良氏の惣領家(跡継ぎの本家)は多良木相良氏でした。館跡や灌漑用水(かんがいようすい)などの史跡が多く残っています。
○構成文化財:熊本県(人吉市、錦町、あさぎり町、多良木町、湯前町、水上村、相良村、五木村、山江村、球磨村)
球磨村:神瀬住吉神社
山江村:城山観音堂の十一面観音菩薩像、高寺院、山田大王神社、永留相良氏城郭群
人吉市:井口八幡神社、人吉温泉、青井阿蘇神社、おくんち祭、ウンスンカルタ、老神神社、人吉城跡、人吉藩鼓笛隊、大信寺、願成寺と相良家墓地、岩屋熊野座神社
五木村:東俣・西俣阿蘇神社
相良村:雨宮神社、十島菅原神社、井沢熊野座神社
錦町:木本神宮、岩城跡、荒田大王神社、荒田観音堂の釈迦如来像、タイ捨流剣法
あさぎり町:勝福寺関連文化財、須恵阿蘇釈迦堂、山上八幡神社、上村相良氏関連遺跡、白髪神社、谷水薬師堂、深田大王神社
多良木町:王宮神社、青蓮寺阿弥陀堂、太田家住宅、多良木相良氏関係史跡、久米治頼神社、槻木大師堂の弘法大師像
湯前町:城泉寺阿弥陀堂、御大師堂
水上村:生善院観音堂、市房山神宮
人吉市・錦町・あさぎり町・多良木町・湯前町・水上村・相良村・五木村・山江村・球磨村:球磨焼酎、人吉球磨の民謡、球磨拳、庚申信仰と庚申塔、球磨神楽、臼太鼓踊り
錦町・あさぎり町・多良木町・湯前町・水上村:百太郎溝と幸野溝
人吉市・錦町・多良木町:焼酎墓
人吉市・錦町・あさぎり町・多良木町・湯前町・水上村・相良村・山江村・球磨村:相良三十三観音めぐり
人吉市・錦町・あさぎり町・多良木町・湯前町・水上村・相良村・球磨村:球磨川
[参考:https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/stories/story018/]
人吉温泉(人吉温泉郷)

熊本県人吉市内

/event/?mode=detail&id=9999900000554

鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴~日本近代化の躍動を体感できるまち~
/長崎県佐世保市ほか

明治期の日本は、近代国家として西欧列強に渡り合うための海防力を備えることが急務でした。このため、国家プロジェクトにより天然の良港を四つ選び軍港を築きます。
こうして静かな農漁村に人と先端技術を集積し、海軍諸機関と共に水道、鉄道などのインフラが急速に整備され、日本の近代化を推し進めた四つの軍港都市が誕生しました。
百年を超えた今もなお現役で稼働する施設も多く、躍動した往時の姿を残す旧軍港四市は、どこか懐かしくも逞しく、今も訪れる人々を惹きつけてやみません。
(一社)長崎県観光連盟提供
旧佐世保無線電信所(針尾送信所)施設※国指定重要文化財
大正 11( 1922 )年に建設された日本に残る唯一の長波通信施設。高さ136mを誇る 3 本の巨大な電波塔は、れんが造りに代わる最先端技術として佐世保で発展した鉄筋コンクリート造りの到達点であり、近代建築の金字塔でした。太平洋戦争開戦を告げる「ニイタカヤマノボレ 1208 」の電信を発したとも伝えられる日本最古にして、最大のコンクリートタワーです。
○九州の構成文化財:長崎県佐世保市
旧佐世保無線電信所(針尾送信所)施設、旧海軍佐世保鎮守府凱旋記念館(佐世保市民文化ホール)、西九州倉庫(株)前畑1号倉庫(旧第五水雷庫)、岡本水源地、山ノ田水源地、立神係船池(旧修理艦船繋留場)、佐世保重工業(株)250トンクレーン、佐世保重工業(株)第5、第6ドック、赤崎貯油所旧地下重油槽、庵崎貯油所地下重油槽、佐世保要塞及び関連施設…旧佐世保要塞砲兵連隊跡、旧佐世保弾薬本庫、丸出山堡塁砲台跡・観測所跡、俵ヶ浦弾薬本庫、馬川兵舎跡・演習砲台跡、小首砲台跡・地区司令所跡、高後崎砲台跡
平瀬煉瓦倉庫群、立神煉瓦倉庫群、前畑火薬庫、南風崎トンネル、清水の瀬橋梁、佐世保鎮守府水道施設群、佐世保市水道局水道施設群、干尽倉庫群、九州旅客鉄道(株)鉄道施設群、松浦鉄道(株)鉄道施設群
海軍防備隊、警備隊砲台群…田島岳高射砲台跡、大崎高射砲台跡、古里高射砲台跡、錐崎高射砲台跡、庵浦高射砲台跡、猫山高射砲台跡、無窮洞、戸尾市場
佐世保重工業(株)佐世保造船所(旧佐世保海軍工廠)施設群、佐世保鎮守府庁、海兵団関連施設群、佐世保鎮守府関連記念碑群、東山公園(旧海軍墓地)、吉村長策関連史料群
[参考:https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/stories/story035/]
針尾送信所 針尾無線塔

長崎県佐世保市針尾中町382

/event/?mode=detail&id=9999900039769

日本磁器のふるさと 肥前 ~百花繚乱のやきもの散歩~
/佐賀県(唐津市、伊万里市、武雄市、嬉野市、有田町)・長崎県(佐世保市、平戸市、波佐見町)

陶石、燃料(山)、水(川)など窯業を営む条件が揃う自然豊かな九州北西部の地「肥前」で、陶器生産の技を活かし誕生した日本磁器。肥前の各産地では、互いに切磋琢磨しながら、個性際立つ独自の華を開かせていきました。その製品は全国に流通し、我が国の暮らしの中に磁器を浸透させるとともに、海外からも賞賛されました。
今でも、その技術を受け継ぎ特色あるやきものが生み出される「肥前」。青空に向かってそびえる窯元の煙突やトンバイ塀は脈々と続く窯業の営みを物語ります。この地は、歴史と伝統が培った技と美、景観を五感で感じることのできる磁器のふるさとなのです。
唐津焼、伊万里・鍋島焼、武雄焼、肥前吉田焼、志田焼、有田焼、三川内焼、中野焼、波佐見焼と実にバリエーションに富んだ、世界に誇る磁器のふるさとです。
○構成文化財:佐賀県(唐津市、伊万里市、武雄市、嬉野市、有田町)・長崎県(佐世保市、平戸市、波佐見町)
佐賀県西松浦郡有田町…柿右衛門窯跡
有田町…有田内山伝統的建造物群保存地区、初代金ヶ江三兵衛墓碑、陶山神社鳥居、陶祖李参平之碑、有田磁器(柴田夫妻コレクション)、蒲原コレクション、染付山水図輪花大鉢、染付白鷺図三脚皿、柿右衛門(濁手)、色鍋島
佐賀県伊万里市…大川内鍋島窯跡、大川内山、旧犬塚家住宅、伊万里津、旧戸渡嶋神社灯籠・手水鉢(現伊萬里神社)
佐賀県嬉野市…嬉野の磁器窯跡群、志田焼の里博物館(旧志田陶磁器株式会社工場)、飛龍窯
長崎県佐世保市…三川内の磁器窯跡群、三川内三皿山、陶祖神社、釜山神社、三川内の磁器製作技術
長崎県波佐見町…肥前波佐見陶磁器窯跡、智惠治窯跡、陶郷・中尾山、福重家住宅主屋・旧福幸製陶所、波佐見の生地成形技術、冷汁
佐賀県武雄市…肥前陶器窯跡
佐賀県伊万里市…茅ノ谷1号窯跡
佐賀県西松浦郡有田町…天神森窯跡
長崎県佐世保市…葭之本窯跡
長崎県平戸市…中野窯跡
佐賀県武雄市…肥前磁器窯跡
佐賀県西松浦郡有田町…陶祖祭
長崎県東彼杵郡波佐見町…陶祖祭
長崎県佐世保市…陶祖祭
佐賀県伊万里市…無縁塔祭
窯業道具の供養、やきもの市
[参考:https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/stories/story037/]

関門“ノスタルジック”海峡 ~時の停車場,近代化の記憶~
/福岡県北九州市・山口県下関市

古来より陸上・海上交通の要衝であった関門地域は、幕末の下関戦争を契機とした下関・門司両港の開港以降、海峡の出入口には双子の洋式灯台が設置され、沿岸部には重厚な近代建築が続々と建設されました。
狭い海峡間を外国船が行き交う景観の中、日本が近代国家建設へ向け躍動した時代のレトロな建造物群が、時が停止したかのように現在も残されており、渡船や海底トンネルを使って両岸を巡れば、まるで映画のワンシーンに紛れ込んだような、ノスタルジックな街並みに出会うことができます。
門司港駅。明治22年(1889年)に開港した門司港は、国際貿易港として栄えました。当時の面影を残すエキゾチックな洋館が建ち並び、これらの歴史的建造物や古い街並みと新しい都市機能をうまくミックスさせた都市型観光拠点として生まれ変わりつつあります。
2017年12月に誕生した新しいフォトスポット「カンモンハート」(門司港レトロ地区に4カ所、下関市の唐戸地区の3カ所、ハートのモチーフが設置されています)を探しながら歩いてみてもよいかもしれません。
○九州の構成文化財:福岡県北九州市
部埼灯台、九州鉄道記念館(旧九州鉄道本社)、若松石炭会館、旧門司税関、旧サッポロビール九州工場事務所棟、醸造棟、組合棟、倉庫、上野ビル(旧三菱合資会社若松支店)本館、倉庫棟、旧分析室ほか、門司港駅(旧門司駅)本屋、北九州市旧大阪商船、料亭金鍋本館、表門、旧古河鉱業若松ビル、杤木ビル、旧門司三井倶楽部 本館、附属屋、岩田家住宅 主屋、土蔵、ニッカウヰスキー(株)門司工場製造場(旧大里酒精製造所 製造場)、ニッカウヰスキー(株)門司工場 倉庫(旧大里製粉所 倉庫)、門司郵船ビル(日本郵船門司支店)、旧大連航路上屋、門司区役所(旧門司市役所)、三宜楼、北九州銀行門司支店(旧横浜正金銀行門司支店)、旧JR九州本社ビル、世界平和パゴダ、ホーム・リンガ商会
北九州市・下関市…関門隧道下り線・関門隧道上り線、バナナの叩き売り、フグ料理
[参考:https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/stories/story052/index.html]

米作り、二千年にわたる大地の記憶 ~菊池川流域「今昔『水稲』物語」~
/熊本県(山鹿市、玉名市、菊池市、和水町)

菊池川流域には、二千年にわたる米作りによる大地の記憶が残っています。平地には古代から受け継がれた条里、山間には高地での米作りを可能にした井手(用水路)と棚田、そして海辺には広大な耕作地を生み出した干拓。米作りを支えた先人たちによる土地利用の広がりが、今も姿を留め、その全てをコンパクトに見ることができます。
更に賑やかな祭りや豊かな食という無形の文化も息づくなど、菊池川流域は古代から現代までの日本の米作り文化の縮図であり、その文化的景観や米作りがもたらした芸能・食文化に出会える稀有な場所なのです。
菊池渓谷。菊池川の源流をなす菊池渓谷は、阿蘇の伏流水が多くのミネラル分を含み、下流に肥沃な養分をもたらして、米をはじめ様々な農産物に豊かな恵みをもたらしています。 
○構成文化財:熊本県(山鹿市、玉名市、菊池市、和水町)
玉名市、山鹿市、菊池市、和水町…菊池川、菊池川流域の弥生時代の大集落遺跡群、菊池川流域の装飾古墳群、菊池川流域の灌漑
山鹿市、和水町…岩原双子塚古墳・江田船山古墳
菊池市…菊池渓谷、菊之城跡、赤星舟着場、菊池の松囃子
玉名市、山鹿市…菊池川流域の条里跡、区画割
菊池市、山鹿市…鞠智城跡
山鹿市…御宇田井手、番所地区の棚田
玉名市…旧玉名干拓施設、菊池川の中世河口港関連遺跡群
菊池市ほか…冨田式暗渠排水技術
[参考:https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/stories/story053/index.html]

やばけい遊覧~大地に描いた山水絵巻の道をゆく
/大分県(中津市、玖珠町)

耶馬渓とは、川が溶岩台地を浸食した奇岩の渓谷で、石柱の断崖、岩窟、滝、巨石が大パノラマをつくっています。その深く神秘な地形は伝説と祈りの場所となり、山水画のような風景は文人画人憧れの地でもありました。
1000 年以上の昔から、人々は岩から仏、石橋、洞門、庭園と、優れた作品を生み出し、広大な大地に配しては回遊路でつないでいき、大正時代ついに一本の絵巻物のようにまとめあげました。次々と場面が展開する「耶馬渓」という山水絵巻に入り込み、空から、谷底から、遊覧の旅を楽しんでください。
一目八景。一目八景は深耶馬渓の中心部で、土産物屋や茶屋が並ぶ。一か所にいて八方を奇怪な岩峰に囲まれることから一目八景と呼ばれています。
○構成文化財:大分県(中津市、玖珠町)
中津市、玖珠町…名勝耶馬渓、一目八景(一目八景と深耶馬渓探勝道)、麗谷探勝道(一目八景と深耶馬渓探勝道)、大谷渓谷(一目八景と深耶馬渓探勝道)、裏耶馬溪の景観、耶馬渓温泉、かっぱ祭り…玖珠町:山下岩戸楽、瀧瀬楽、大浦楽、木牟田楽/中津市:宮園楽、白地楽、樋山路楽、二瀬楽
中津市…八面山と八面山探勝道、羅漢寺・羅漢寺探勝道(羅漢寺と羅漢寺探勝道)、五百羅漢石仏(羅漢寺と羅漢寺探勝道)、指月庵庭園(羅漢寺と羅漢寺探勝道)、古羅漢と古羅漢探勝道(古羅漢と古羅漢探勝道)、古羅漢石造観音菩薩坐像(古羅漢と古羅漢探勝道)、青の洞門(青の洞門関連遺跡)、禅海堂(青の洞門関連遺跡)、石造文殊菩薩坐像(禅海和尚の墓)附伝禅海和尚遺品(青の洞門関連遺跡)、競秀峰と競秀峰探勝道(競秀峰と競秀峰探勝道)、木造妙見菩薩坐像(競秀峰と競秀峰探勝道)、福澤家土地台帳、村上医家史料館(村上田長関連遺産)、中津玖珠道関係資料(村上田長関連遺産)(a 明治期の玖珠郡地図、b 深耶馬渓道路地図、 c 明治 21 年玖珠郡長日誌、d 村上田長表彰状)、猿飛千壺峡〜魔林峡遊歩道、平田家住宅(平田吉胤関連遺産)、平田吉胤翁頌徳碑(平田吉胤関連遺産)、「平田古城八景」(平田吉胤関連遺産)、「耶馬渓図鑑」(平田吉胤関連遺産)、平田集落の町並み 旧耶馬渓鉄道 平田駅ホーム、平田城址、城井八幡社、西浄寺、旧城井小学校、旧平田郵便局、久福寺、旧耶馬渓鉄道線路跡(旧耶馬渓鉄道関連遺産)、旧耶馬渓鉄道1号2号厚ケ瀬トンネル(旧耶馬渓鉄道関連遺産)、筑紫亭、山国屋旅館、耶馬渓橋(耶馬三橋)、羅漢寺橋(耶馬三橋)、馬溪橋(耶馬三橋)、「天下無二耶馬全渓の交通図絵」、中津の鱧料理(中津と玖珠の食(海、山、川の恵み))、耶馬渓すっぽん料理(中津の玖珠の食(海、山、川の恵み))、猪鹿料理(中津と玖珠の食(海、山、川の恵み))、巻柿(中津と玖珠の食(海、山、川の恵み))
玖珠町…村上田長頌徳碑(村上田長関連遺産)、伐株山(森町の庭園とテーブルマウンテン)、大岩扇山(森町の庭園とテーブルマウンテン)、旧久留島氏庭園(森町の庭園とテーブルマウンテン) 藩主御殿庭園、旧久留島氏庭園(森町の庭園とテーブルマウンテン) 清水御門御茶屋庭園、旧久留島氏庭園(森町の庭園とテーブルマウンテン) 栖鳳楼庭園、角埋山と角牟礼城跡(森町の庭園とテーブルマウンテン)、末廣神社(森町の庭園とテーブルマウンテン)、森町の町並み 酢屋、粕屋、かねじゅう館、旧豊後森駅機関庫、旧豊後森機関庫転車台(豊後森駅関連遺産)、豊後森駅(豊後森駅関連遺産)、森町の栗饅頭(中津と玖珠の食(海、山、川の恵み))
[参考:https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/stories/story054/index.html]
日本遺産! やばけい遊覧~大地に描いた山水絵巻の道をゆく

八面山~羅漢寺・古羅漢~青の洞門・競秀峰~深耶馬渓~玖珠の森城下町~裏耶馬渓・奥耶馬溪~平田集落

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