マニアにはたまらん!ユニークな九州隠れ山城10選巡り

さしきじょう

佐敷城

おすすめ萌え度★★★★☆ 攻略難度★☆☆☆☆ 知名度★★★☆☆

山の上で味わえる高石垣と破城の痕跡

佐敷城全景の画像

城の生涯は短命ながらも歴史はエピソード万歳! 清正公も重要視した「境目の城」

豊臣秀吉が九州を平定した翌年の1588年、加藤清正は現在の熊本県にあたる肥後半国を任されました。その際、小西氏、相良氏、島津氏といった近隣勢力に備えるため、国境付近に築かれたのが佐敷城です。佐敷城の生涯はわずか25年ほどと短命ながらも、2度も攻められた歴史エピソード満載の山城。見どころはズバリ、石垣。でも、よく観察すると崩れているのはなぜ…?

動画

近世初頭の石垣技術が見どころの山城
佐敷城は、標高87.3メートルの花岡山に築かれた総石垣の山城です。本丸、二の丸、三の丸を階段状に配置した構造で、山の麓から見上げると今でもハッキリと城の輪郭を見ることができます。

熊本城の重要な支城の一つとして飛び領地に築かれ、清正の家臣・加藤重次が城代として派遣されました。

山腹の駐車場から登ること5分、搦手に到着です。出迎えてくれたのは小ぶりな虎口(こぐちと読む。出入口のこと)ですが、一方で、佐敷城には大手門や二の丸東門など大きくて立派な門も築かれていました。

登城口の画像

駐車場の登城口からスタート!

搦手の画像

搦手に到着。他の門と比べて小ぶりなサイズだ

二の丸東門の画像

二の丸東門。櫓門が建っていたであろう大きな門

大手門の画像

こちらは大手門。城下が見渡せるいい眺め

壊された最後の姿に戻す復元
城内を散策していると、石垣が欠けていたり壊されている箇所が目につきます。実はこれも歴史の一部!佐敷城が廃城になった後、島原・天草一揆で古城が再利用されたことを教訓に、さらなる破却命令が下りました。

佐敷城も同様に石垣を壊し、堀を埋め、徹底的に壊されたそう。現在の城は、発掘調査の成果をもとに「破却された最後の姿」を基本に整備されています。崩された石垣を見ていると胸が締め付けられる気持ちになりますが、実は、佐敷城の歴史を大切にした証だったのですね。

三の丸から見る二の丸の画像

三の丸から見る二の丸。石垣の上の部分が欠けている様子がわかる

本丸北面の画像

本丸北面。同じように石垣の上部がない

本丸の石垣の画像

本丸の石垣。隅の部分が意図的に壊されているようだ

360度見渡せる景観が太鼓判
ようやく本丸へ。山頂からの眺めも気持ちいいです。それほど標高が高くない分、眼下の家を近くに感じ、耳を澄ませば鉄道や生活の音まで聞こえてきます。

麓の佐敷川を目で辿って行くと、その先には八代海の紺碧の海が!古くから水運基地として発展した佐敷。この立地を目にすれば理由がわかりますね。

本丸西門の画像

本丸西門を通って山頂へ

本丸から見た二の丸の画像

本丸から見た二の丸方向。下界の家が近くに感じる

八代海の画像

川を目で辿っていくと、その先には八代海が

エピソードが切なすぎるよ、佐敷城!
城が使われていた期間は25年ほどと短いながらも、2回も攻められた歴史がある佐敷城。

1592年には清正や重次の留守中に、薩摩の梅北国兼(うめきた くにかね)によって佐敷城が乗っ取られ(梅北の乱)、さらには、関ケ原の戦いがあった1600年には、敵対する西軍、島津氏に包囲され30日に及ぶ籠城戦が繰り広げられました。

その都度、改修を重ね城を強固にしていったのですが、1615年の一国一城令で廃城となり、自らの手で城を壊すことになりました。なんて切ないのでしょうか!

本丸東門の画像

本丸東門。左上の石垣が欠けているのがわかる

名物を食して芦北観光を制覇しよう
キレイに整備され、夏でも草木がない佐敷城はとても散策しやすい山城です。

1時間ほど見学した後は、車で10分の場所にある「芦北うたせ直売食堂 えび庵」にて、漁師の町芦北の名物「アシアカエビ」をいただきましょう!明治時代から続く伝統漁法「うたせ船」で捕れる天然のエビ。その漁獲量は少なく町の外にはあまり出回らないことから、幻のエビとも称されます。

カラっと揚がった天丼がたまらなく旨くて、体中に染み渡りますよ!

足赤えび天丼の写真

芦北うたせ直売食堂 えび庵の足赤えび天丼(税込2,000円)

観光うたせ船の写真

期間限定で乗船できる「観光うたせ船」(要予約)

アクセス

電車で行く場合

肥後おれんじ鉄道 佐敷駅から徒歩20分

車で行く場合

日奈久芦北道路 芦北インターから5分