つのむれじょう
角牟礼城
おすすめ萌え度★★★★☆ 攻略難度★★★★☆ 知名度★★★☆☆
名勝耶馬渓が語り継ぐ難攻不落の山城の歴史
ビュート地形を味方にした山城に苦戦。島津軍の勢いを止め堅城として名を残す
鎌倉時代に、豊後(ぶんご)の地方豪族・森朝通によって築かれたと伝わる角牟礼城。戦国時代には、島津氏の大軍に攻められるも落城しなかった堅城です。戦国時代末期には中世の城から近世の城へと改修され、変貌する過程をうかがい知ることができます。キーワードはズバリ「穴太(あのう)積みの石垣」。二の丸や三の丸を中心に築かれた石垣が、一番の見どころです。角牟礼城を攻める気持ちになって、山城ハイキングに出かけてみましょう!
- 住所
- 大分県玖珠郡玖珠町 森
動画
堅城の秘訣は「おにぎり型」の地形
角牟礼城のある標高576メートルの角埋山は、おにぎり型をしたビュート地形で急峻な斜面が特徴の孤立丘。戦国時代に、島津氏の大軍が襲うも落とすことができなかった攻めにくい城です。
攻めにくい城…というのは、私たちも同じ。比高250メートル近くある山城は登るだけでも1時間ほどかかりますが、攻める辛さを体感できるのも楽しみの一つです。しかし、安心してください。車で行かれる方は山腹の三の丸駐車場が利用可能となっています。
攻めにくい城…というのは、私たちも同じ。比高250メートル近くある山城は登るだけでも1時間ほどかかりますが、攻める辛さを体感できるのも楽しみの一つです。しかし、安心してください。車で行かれる方は山腹の三の丸駐車場が利用可能となっています。
見どころは「穴太積みの石垣」
三の丸駐車場ではさっそく石垣がお出迎え。豊臣秀吉の九州平定後に入城した毛利高政(もうり たかまさ)が、土造りだった山城に「高石垣」や「枡形虎口」といった最新技術を施し、近世城郭へと変貌をとげました。三の丸にある石垣も、その時に積まれたものです。
見どころは、二の丸大手門付近に残る城内最大、高さ7メートルの石垣。「穴太衆(あのうしゅう)」と呼ばれる石工集団が積み上げた「穴太積み」が特徴です。機械のない時代に、自然石をバランスよく組み上げる職人の技は「すごい」の一言に尽きます。苔むした風貌、そして荒々しさの残る石の表情がたまらなくカッコイイ!
見どころは、二の丸大手門付近に残る城内最大、高さ7メートルの石垣。「穴太衆(あのうしゅう)」と呼ばれる石工集団が積み上げた「穴太積み」が特徴です。機械のない時代に、自然石をバランスよく組み上げる職人の技は「すごい」の一言に尽きます。苔むした風貌、そして荒々しさの残る石の表情がたまらなくカッコイイ!
南耶馬渓エリアを治める眺望
大手門、二の丸、西門を過ぎると、もうすぐ山頂の本丸。ここからは日本三大奇勝の耶馬渓方面がまる見えです。麓から歩いて登ってきた方はよく頑張りました!
また、角埋神社付近の展望台からは、玖珠(くす)町を代表する万年山や伐株山、そしてお天気の良い日にはくじゅう連山の眺望が楽しめます。ちなみに、島津軍が攻めてきたのはこちらの方向から。敵が侵攻してくる様子を想像すると、足がすくむ思いがしますね。
豊前と豊後の国境いに位置し、また玖珠から豊前へ抜ける交通の要衝に位置した角牟礼城。この眺めの良さからも、角牟礼城を手に入れたい気持ちがわかります。
また、角埋神社付近の展望台からは、玖珠(くす)町を代表する万年山や伐株山、そしてお天気の良い日にはくじゅう連山の眺望が楽しめます。ちなみに、島津軍が攻めてきたのはこちらの方向から。敵が侵攻してくる様子を想像すると、足がすくむ思いがしますね。
豊前と豊後の国境いに位置し、また玖珠から豊前へ抜ける交通の要衝に位置した角牟礼城。この眺めの良さからも、角牟礼城を手に入れたい気持ちがわかります。
「難攻不落の城」たる理由
角牟礼城は、弘安年間(1278~88)に豊後の地方豪族・森朝通(もり ともみち)によって築かれたと伝わります。
1530年頃から、九州北東部を支配した大友氏の配下にありましたが、九州制覇を目論む島津氏が侵攻し両者はぶつかりました(豊薩戦争)。1587年、角牟礼城は島津軍6,000に攻撃されるも、籠城兵1,000人が奮戦し、落ちることなく堅城さを見せつけたのです。
1530年頃から、九州北東部を支配した大友氏の配下にありましたが、九州制覇を目論む島津氏が侵攻し両者はぶつかりました(豊薩戦争)。1587年、角牟礼城は島津軍6,000に攻撃されるも、籠城兵1,000人が奮戦し、落ちることなく堅城さを見せつけたのです。
藩政の時代がはじまる
近世城郭へと改修した毛利高政に代わり1600年には久留島氏が入城しますが、城を持てない大名だった久留島氏は山の麓に「陣屋(じんや)」を構えました。角牟礼城は御留め山として管理され、その役目を終えています。
せっかくなので、「久留島陣屋(森陣屋)」も散策してみましょう! 陣屋跡地は現在三島公園として整備され、園内には藩主御殿跡に残る庭園、末廣神社、そして森藩8代藩主・久留島通嘉が天守に見立てて築いた御茶室「栖鳳楼(せいほうろう)」など、藩政時代のおもかげに触れることができます。
せっかくなので、「久留島陣屋(森陣屋)」も散策してみましょう! 陣屋跡地は現在三島公園として整備され、園内には藩主御殿跡に残る庭園、末廣神社、そして森藩8代藩主・久留島通嘉が天守に見立てて築いた御茶室「栖鳳楼(せいほうろう)」など、藩政時代のおもかげに触れることができます。
大分の景色と山城と…グルメも網羅する歴史旅
角牟礼城はポイントごとに「櫓跡」や「門跡」「礎石建物跡」などの看板が立っているので、わかりやすい山城です。景色も楽しめ、カラダも動かせるのでリフレッシュできること間違いなし!
山城ハイキングでお腹が空いたら、大分のソウルフード「とり天」でお腹を満たしましょう! ジューシーな鶏肉を揚げたとり天は、定食はもちろんのこと、カレーライスやうどん、サラダのトッピングにもマッチして美味。大分ではかぼすとポン酢のつけだれが一般的ですが、タルタルソースやケチャップ派もいて、お店によって楽しみ方が違うのも面白いですね。
山城ハイキングでお腹が空いたら、大分のソウルフード「とり天」でお腹を満たしましょう! ジューシーな鶏肉を揚げたとり天は、定食はもちろんのこと、カレーライスやうどん、サラダのトッピングにもマッチして美味。大分ではかぼすとポン酢のつけだれが一般的ですが、タルタルソースやケチャップ派もいて、お店によって楽しみ方が違うのも面白いですね。
アクセス
電車で行く場合
JR久大本線「豊後森」駅から大分交通バスに約8分乗り「上伏原」で下車
車で行く場合
大分自動車道 玖珠インター 下車後、 国道387号利用し約10分