マニアにはたまらん!ユニークな九州隠れ山城10選巡り

とのこおりじょう

都於郡城

おすすめ萌え度★★★★☆ 攻略難度★☆☆☆☆ 知名度★★☆☆☆

中世に日向国を治めた伊東氏240年の居城

都於郡城の画像

「伊東四十八城」の本拠地!シラス台地を活かしたダイナミックな空堀に首ったけ

南北朝時代の築城以来、約240年にわたり日向(ひゅうが・現在の宮崎県)を治めた伊東氏の居城。最盛期には領国内に48の城をもち、佐土原城とともに本拠地となったのが都於郡城です。九州南部特有のシラス台地を生かした中世の山城で、ダイナミックな空堀や急勾配に立ち上がる切岸(きりぎし)が興奮するポイント。とくに、本丸と二の丸の間にある深さ10メートルの「空堀(からぼり)」は驚いて腰を抜かすほどです。土の城の楽しみ方、教えます!

動画

ダイナミックな堀を満喫すべし
標高100メートルの地に築かれた都於郡城は、駐車場から徒歩5分ほどで到着できる行きやすい城。「山城」という言葉でイメージするような山のてっぺんに築かれた城ではなく、台地の端っこに築かれた広大な居館跡のようなイメージです。

空堀で区画された5つの曲輪(くるわ)から成る土造りの城で、全体を歩いても見学時間は1時間から2時間ほど。散策路も整備されているため気軽に訪れることができます。土の城ですが、石垣がないからといって侮ることなかれ!この城の楽しみ方は、ズバリ「堀底を這いつくばるように歩く」につきます。堀底から見上げる眺めほど美しいものはありませんよ。

堀を見上げた時の画像

堀は見上げる方が好き?

堀を見下した時の画像

堀は見下ろす方が好き?

桁違いのスケール!高さ10メートルの空堀が見どころ
特に見事なのは本丸と二の丸の間にある「空堀」で、高さ10メートル、長さは100メートルにも及ぶビックスケールです。これほど大きな空堀は全国にある他の城でもなかなか見ることができません。

数百年という風化によって堀は埋まっていきますから、本来の堀底はさらに深かったはず。這った時の高さが、当時の堀底に立った時と同じくらいの目線になります。堀底で足を取られている間に曲輪の上から撃たれる、そんな妄想をすると、さらに土の城が楽しくなりますよ。

本丸と二の丸の間にある空堀の画像

都於郡城の注目ポイントは、本丸と二の丸の間にある空堀

シラス台地の急峻な壁
都於郡城のある九州南部は、火砕流堆積でできたシラス台地を卓越した城造りが特徴的で、垂直近くまで土壁が自立します。そのため曲輪間の「空堀」から、すべての曲輪の「切岸(人工的に削られた斜面)」にいたるまで、どこもかしこも角度が急峻!この凸凹に感動です。

堀底を歩いた後はそれぞれの曲輪にも登ってみましょう。三の丸展望台や奥ノ城からは西都市の景色を眺めることができ、断崖の端に築かれた城の立地も確認できます。

本丸の切岸の画像

本丸の切岸

土塁に囲まれた本丸の画像

土塁に囲まれた本丸

西都市の景色の画像

奥ノ城から見える西都市の景色

歴史教科書で習ったあの人の誕生地
16世紀中頃の全盛期には、都於郡城や佐土原城を中核に48の城を持った伊東氏でしたが、1572年の木崎原の戦いで島津軍に敗れ、伊東氏は衰退へと向かいます。戦いに敗れた伊東義祐は大友氏を頼って豊後に逃亡。都於郡城は島津氏の手に落ちました。豊臣秀吉の九州平定後も島津氏の領有下となりましたが、1615年の一国一城令により廃城となっています。

ちなみに都於郡城は、13歳という若さで天正遣欧少年使節の正使となった「伊東マンショ」が生まれた城。逃亡先で知り合った宣教師との出会いから、彼はローマに渡ることになります。

伊東マンショの銅像の画像

本丸に建つ伊東マンショの銅像

「土」に感動する旅もいいかも
都於郡城を見学したあとは、少し足を伸ばして「西都原古墳群」にも行ってみましょう。城から車で約15分、319基の古墳が密集したパラダイスに到着です。円墳、方墳、前方後円墳などさまざまなタイプの古墳が楽しめる場所。都於郡城を含め、昔の人が手作業で掘ったり盛ったりした「土木量」に感動しまくりですね!

上空から見る西都原古墳群の画像

上空から見る西都原古墳群

アクセス

電車で行く場合

JR日豊本線 佐土原駅からのバスに乗って約30分、「宮崎交通西都営業所(西都バスセンター)」バス停で下車し、バスを乗り換え「池の端」バス停下車後徒歩10分

車で行く場合

東九州自動車道 西都インターから15分