マニアにはたまらん!ユニークな九州隠れ山城10選巡り

さいきじょう

佐伯城

おすすめ萌え度★★★★☆  攻略難度★★★☆☆  知名度★★★☆☆

江戸時代を生き抜いた佐伯藩2万石の居城

佐伯城の画像

平地に城を築くのが主流となった時代に、あえて山の上を選び総石垣の城を築いた!

関ケ原の戦いで東軍に寝返った毛利高政(もうり たかまさ)は、佐伯2万石に転封となりました。1602年より4年をかけ新城築城に取り掛かった高政が選地したのは、標高144mの山の上。石垣が張りめぐらされたその姿は、近年話題となった「天空の城」さながらです。明治まで佐伯藩毛利氏12代の居城となった佐伯城。どんな城が建っていたのか、想像しながら歩いてみましょう!

動画

ここにもあった「天空の城」
麓から約20分ほど登ると本丸に到着。さっそく城下を見下ろす眺望が目に入ってきました!体を動かした後のこの見晴らしは、何よりのご褒美です。

山の上はスパッと平坦に切ったように整地され、ガッシリとした石垣が張りめぐらされています。

佐伯城は、本丸を中心に尾根に沿って曲輪が配置された構造で、鶴が羽を広げたような形をしていることから、別名「鶴ヶ城」や「鶴屋城」とも呼ばれています。現在、山頂に建物はなく石垣が当時の姿を伝えるのみですが、かつては櫓、門、御殿が並ぶ壮観な光景だったことがイメージできますね。

独歩碑の道入口の画像

登城路。4つあるコースの中から「独歩碑の道」を選択

天守曲輪から二の丸方面の画像

天守曲輪から二の丸方面を望む

天守曲輪からの景色の画像

標高144mから見る城下の景色

山の上に築かれた近世城郭
佐伯城が築かれた慶長年間は、関ケ原の戦いによる増封や新領地への異動が重なり、全国各地で新城築城や城の大改修が行われました。さらに、いつ戦がおきてもおかしくない不安定な世の中。技巧的で守りに堅い城が続々と生まれ、築城技術は目覚ましい発展を遂げていきます。

同じ時期に誕生した城の多くは平地や丘の上を選地するなか、毛利高政が選んだのは山の上。まだ戦いが勃発することを予想して、攻めにくい場所を選んだのでしょうか。

北の丸からの天守石垣の画像

これだけの石垣が山の上に築かれていたなんて!石垣を運ぶだけでも大変だったであろう

天守からの景色の画像

景色は「天空の城」さながら

戦う城の要素も取り入れて
佐伯城は「総石垣」という近世城郭の特徴を持ちながら、軍事色の強い山城の要素も取り入れた点が、城の個性であり一番の見どころです。本丸と二ノ丸の間には、往来を遮断するための「堀切(ほりきり)」が設けられています。石垣の堀切遺構は全国的にも珍しいため、一見の価値あり!

ちなみに、山頂に残る現在の石垣は、1709年6代藩主・毛利高慶(たかよし)の代に20年に及ぶ大改修を実施した時のもの。以降、改修を施しながら維持管理されていったようです。

北の丸からの4段石垣の画像

2019年に見つかった本丸外曲輪北側の4段石垣

二の丸からの堀切と天守石垣の画像

石垣の堀切。日常は橋を渡し、いざという時は橋を外して進めないようにしたと考えられる

天守曲輪の石垣の画像

天守曲輪石垣。階段は昭和につけ加えられたもの。その上の天守台には毛利神社が創建されるも太平洋戦争により被災し、現在は石の祠が残るのみ

麓の居館にお引っ越し
戦のない平和な世の中になると山の上での生活は大変。火災で天守をはじめとする建物も燃えてしまったことから、1637年には山の麓に三の丸を増築し藩の機能も移されました。

大手門として使われた「三の丸櫓門」は、この際建てられたもので県指定有形文化財となっています。ちなみに、大分県内で櫓門が現存しているのは佐伯城だけ!佐伯城においても唯一現存している建物遺構です。

櫓門の画像

1726年改修、1832年改築の三の丸櫓門

佐伯の城下は寿司ストリート
どこを切り取っても美しい眺望と石垣がセットで楽しめる佐伯城。ひとときの空中散歩を楽しんだあとは、山麓の居館跡をめぐることも忘れずに!

忘れずに…といえば、佐伯の海の幸も見逃せませんよ。佐伯城の城下町、特に国道217号沿はお寿司屋さんが並ぶ海鮮三昧の寿司ストリート。豊後水道に面した佐伯は、地元で仕入れた新鮮な寿司ネタを食べられるハズレなしのお店が集結しています。

佐伯寿司の画像

ネタの大きさが特徴の佐伯寿司

アクセス

電車で行く場合

JR日豊本線・佐伯駅から徒歩20分

車で行く場合

東九州自動車道・佐伯インターから10分