マニアにはたまらん!ユニークな九州隠れ山城10選巡り

おおのじょう

大野城

おすすめ萌え度★★★★★ 攻略難度★★★★★ 知名度★★★★★
 

約1350年前に築かれた国宝級の山城

大野城の山城の画像

太宰府政庁を守るための巨大要塞。記録にある中では日本で最初に築かれた山城

今から約1350年前の飛鳥時代、太宰府政庁の防衛のために築かれた「古代山城(こだいさんじょう)」の一つです。大野城は、円を描くように全長約8キロメートの城壁が山の稜線や斜面をめぐっているのが特徴で、「石塁(せきるい)」や「版築土塁(はんちくどるい)」が見どころとなっています。それでは、四天王寺焼米ヶ原駐車場をスタートしてぐるっと1周めぐってみましょう! 

動画

国宝クラスの山城を見学できる!
古代山城は、エリアも西日本限定で30にも満たない数しか確認されない希少な城。とくに国指定特別史跡の大野城は、文化財保護法で指定された史跡の中でも最高ランクとなります。いわば、国宝クラスの山城を散策することができるのです。なんて贅沢!

太宰府口城門の画像

大野城では9ヶ所の門が見つかっている。その中で最も大きいのが「太宰府口城門」だ

じくずりあなの画像

門の足元に「礎石」が隠れていることも。礎石にあいた穴は「軸摺穴(じくずりあな)」といい門柱が立っていた痕跡

大野城の見どころ「百間石垣」
大野城の特徴といえば、全長約8キロメートルに及ぶ城壁です。歩いてみると戦国時代や江戸時代に築かれた城とは全く異なる構造だということがわかります。古代山城は、山の稜線・斜面に「石塁」や「版築土塁」で城壁をめぐらせ、谷を取り囲むようにして守っているため構造が違うのですね。

石塁は城内に5箇所ありますが、なかでも一番の見どころは「百間石垣」。なんと長さは180メートル以上、高さは最高で8メートル!修復はされていますが、千年以上前の人たちが積み上げた技術の高さに驚かされます。

ここで半周達成。アップダウンもあったけど、遺構を見ながらなので楽しく歩けますね。

版築土塁の画像

版築土塁を辿って大野城を歩いてみよう

百間石垣の画像

大野城のシンボル、百間石垣

石塁の画像

石塁の近くまで行くこともできるよ

城兵がいた痕跡、建物跡
大野城では70棟以上の建物跡が確認されており、これらの建物は主に倉庫の役割をしていたと考えられています。なかでも「増長天礎石群」では、見つかった4棟の建物跡の礎石を平面表示しているためイメージもしやすいです。

大野城が使われていた頃は、「防人(さきもり)」と呼ばれる兵士が警備のため駐在しており、まさにこの場所を歩いていたのかもしれないと思うと歴史ロマンを感じます!

増長天礎石群の画像

増長天礎石群

大野城が築かれた標高410メートルの四王寺山は、博多湾や博多の市街地、そして太宰府方面を望むビューポイント!もし、敵が海を渡って攻めてきたとしても、よく見える立地にあります。焼米ケ原の展望台をはじめ、遠見所、北石垣、水城口城門跡など随所で景色を眺めることができ、気分も開放的になりますよ。

増長天礎石群の画像

建物が建っていた当時の姿を妄想してみたり

歩きながら景色を楽しむ
大野城から見る太宰府市街地の画像

大野城から見る太宰府市街地。標高が高いから抜群の眺望!

古代日本におとずれた史上最大のピンチ!?
国内最古の正史『日本書紀』によると、大野城の築城は西暦665年。この城が築かれた頃は、朝鮮半島を舞台にした大きな戦がありました。唐、新羅連合軍と日本、百済の連合軍が戦い、その結果、日本側は大敗を喫したのです(白村江の戦い)。敵が攻めてくることを想定した日本は、国の防衛を目的とした城を築きました。その一つだった大野城は、太宰府政庁を守る要の城だったのです。

戦国時代の城や江戸時代の城とは一味違った、古代山城の魅力に取り憑かれること間違いなし!

古代山城の画像

古代山城ならではの風景

歩いた後のご褒美も忘れずに
全長約8キロメートル、ぐるっと1周を6時間ほどで巡ってきました。クタクタだけど完歩したら、これ以上ない達成感があります。二日市温泉へ体を癒しに立ち寄ってみようかな。

大野城を訪れた際は近くにある「太宰府天満宮」にも行ってみましょう。名物「梅が枝餅」もおいしいですよ!

太宰府天満宮の写真

菅原道真公が祀られた太宰府天満宮は、学問、至誠、厄除けの神社

梅が枝餅の写真

モチモチでほのかな甘さが絶品の梅が枝餅!

アクセス

電車で行く場合

(JR鹿児島本線)「南福岡」駅、西鉄天神大牟田線「雑餉隈」駅から西鉄バス「上宇美行き」で約20分「県民の森入口」下車、徒歩約50分
(西鉄太宰府線)「太宰府」駅から徒歩70分

車で行く場合

九州自動車道 大宰府インターチェンジより約20分