旧集成館反射炉跡

世界文化遺産 製鉄・製鋼 造船
旧集成館反射炉跡

島津斉彬は国を護るインフラ整備と新事業の工場群を「集成館」と名づけて力を注いだ。
 日本初の近代的な工場群を仙巌園内に設けた薩摩藩主島津斉彬は、1851年に海外からの脅威に対し、海からの外敵から護るための大砲や武器、軍船を自前で作る必要があると考え、材料の鉄を溶かす溶鉱炉や反射炉建造に着手。
必要な熱源には寺山で焼いた木炭を使い、水は関吉から仙巌園まで水道を通し、さらにはガラス工場、紡績、蒸気機関の研究所など次々に設け、それらの工場群を「集成館」と名づけ一気に事業化していきました。

世界に誇る日本人のモノづくり・文化発祥の地といっても過言ではない「集成館」。
 1851年から始まった集成館事業は1865年に新納中三、五代友厚、寺島宗則の使節団と森有礼ら19名の学生で構成した「薩摩藩遣英使節団」を送り出し、欧州やアメリカで技術や航海術を学び帰国。集成館紡績工場の建設・運営、造船をはじめ、日本建国の礎となる産業革命の主役となってそれぞれ活躍していきます。同じ頃長州五傑と呼ばれる井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)、野村弥吉(井上勝)ら五名もロンドン大学に留学しています。
※五代友厚は大阪の経済発展に貢献。寺島宗則は第4代の外務大臣、森有礼は初代文部大臣で一橋大学創設者。 

時代の先駆者・島津斉彬と佐賀藩主鍋島直正は従兄弟(いとこ)だった。
 三重津海軍所を設けた佐賀鍋島藩主鍋島直正と集成館事業を進めていった島津斉彬は母方の従兄弟同士でもあり、外敵の脅威と危機感を共有すると共に先進情報の取り組みに連携して切磋琢磨し、技術革新にまい進していきました。
集成館には最盛期1,200人を超す工員が勤めており、まさにキューポラのある町だったのでは・・・。

住所 鹿児島県鹿児島市吉野町9700-1
お問い合わせ 仙巌園
電話:099-247-1511
利用料金 大人:1,000円、小人:500円
定休日 年中無休
利用可能時間 8時30分~17時30分(3月16日~10月31日)
8時30分~17時20分(11月1日~3月15日)
駐車場 有(駐車料金1,000円)
アクセス情報 ・仙巌園内を正面向って右奥が反射炉跡
・仙巌園の敷地全体が指定を受けている
・左側に旧機械工場
ホームページ http://www.shuseikan.jp/
その他 仙巌園内にて見学可能

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