おいしい島 九州

ほろほろっと、甘くとろける宝石 奄美でしか味わえない希少な純黒糖

黒糖〈鹿児島県奄美市〉

エメラルドグリーンの海に面した奄美大島の畑には、太陽のもと青々としたサトウキビ畑が広がり、
毎年10月から6月にかけて黒糖作りも全盛期を迎えます。ひと口に黒糖といっても、サトウキビが育った畑の環境や土壌によって、白くて柔らかいのや赤いレンガ色の、黒々とした堅いのなど、仕上がりは千差万別。奄美ならではの気候風土と手仕事から育まれる、できたての黒糖を求め、水間範光さんが奮闘する「水間黒糖製造工場」を訪れました。

奄美の土壌が育んだサトウキビ栽培とものづくり

サトウキビ栽培と黒糖製造の技術は、約400年前、中国福建省から奄美大島大和村に伝来し、各地に広がったと言われています。やがて島津藩の奨励を受け、島の一大産業となりましたが、当時は過酷な労働条件を強いられたという記録も。奄美に生きた先人の努力と大自然の恩恵を受け、今、私達も滋味あふれる黒糖を味わえるのです。黒糖作りはシンプル。圧搾機で搾ったエキスを灰汁を取りながら丹念に煮詰め、水飴状になったら撹拌器にかけ、空気を含ませます。約5分で結晶化し、味噌のようになった黒糖を平らにして冷却・乾燥させたら、成型してできあがりです。

水間さんご自身も工場裏の畑でサトウキビを栽培していました

黒糖作りは鮮度が命。朝4時から搾汁し、午前中に加工し、午後から4〜5軒の農家さんの畑へ

伝えたい純黒糖の味初代の想いを受け継いで

かつて奄美では、集落ごとに黒糖を作っていました。水間さんの曽祖父である岩七さんは、明治31年開催の第2回黒糖品評会で一等賞に輝いたこともある腕の持ち主。当時は純黒糖があたりまえでしたが、時代と共に加工糖の需要が増えていきました。「100%純粋な黒糖を絶やしてはいけない」。そう考えた水間さんの父の範仁さんは、小さな看板を掲げることにしたのです。もともと関東で会社員をしていた長男の水間さんが妻の智穂子さんと故郷に戻ったのは、1995年。初代の想いがつまった技術は、あうんの呼吸で釜を見つめる2人へと受け継がれました。繁忙期が終わると畑仕事に精を出すそうですが、年一回の釜のメンテナンスは最も大事な仕事。「親父の時代と違って重油バーナーの火力は強いですから、釜の煉瓦の耐久性には気を配っています」。

一瞬たりとも気が抜けない釜炊き。火力調整も難しいとか 

搾汁液の色は原料によって様々。グレーで泡が多い灰汁が美味しさの証だといいます

職人の経験と勘で日々作り上げる自然の風味

黒糖作りは、鮮度が命。搾りたてのエキスを煮詰める工程は、職人の勘だけが頼り、一瞬の予断も許しません。搾汁液と食用消石灰のみで仕上げる天然100%の純黒糖は、水飴などを足す加工糖と違って、色も味も硬さも香りも自然そのまま。ひと釜ごとに違うと言っても過言ではありません。「豆腐のにがりと同じ役割を果たす食用消石灰も、その日のサトウキビの状態によって10杯入れたり、2杯ですんだり。すべて私の経験と勘なので、その日のひと釜目が大事ですね」と水間さん。すくった灰汁は再びガーゼで濾し、一番釜に落ちる仕組み。貴重なエキスを一滴も無駄にせず、最後まで使いきる工夫が見てとれました。

甘い香りで煮詰まっていく搾汁液。鍋底に焦げつかないように手早く混ぜます

作業中の厳しい顔から一転、見学者の質問に笑顔で答えてくださる水間さん

奄美の気候風土をぎゅっと詰め込んだ黒糖の滋味

「やっぱり、できたてがいちばん美味しいんじゃないでしょうか」と、微笑む水間さん。甘さはサトウキビの糖度だけ。奄美の気候や畑の土壌成分、水はけ、品種、立地や風向きによって、多種多様な味わいが生まれます。何より奄美の土は、大島紬の伝統的染色である泥染めでも知られるように鉄分が多いことで有名です。さらにその日の気候、作り手の技などさまざまな要素が混ざり合い、一期一会の滋味を育むのです。

昔の撹拌作業は、職人が棒でかきまぜていたそう

冷えて固まった黒糖は、ハサミで形を整えたらできあがり

できたてのまだ温かい「鍋かき」は、奄美ならではの滋味。昔ながらの素朴なパッケージも魅力

INFORMATION

できたての純黒糖を味わえる製糖工場

水間黒糖製造工場

奄美には、見学可能な工場が北部に3軒、南部では8軒あるそう。なかでも撹拌機の底にこびりついた淡い色合いの「鍋かき黒糖」は、ひと釜から少量しか作れない希少な黒糖。一粒ずつ温かいうちに手で丸めるため口の中でほろほろと溶けていきます。製糖所を訪れた人だけが巡り合える究極のスイーツです。

鹿児島県大島郡龍郷町中勝1440
TEL.0997-62-2431
営.8:30〜18:00(製糖工場の見学は午前中のみ)
休.月曜