九州の世界遺産を先取り!この夏登録を目指す「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産 」
長崎
熊本
更新日:2018年04月09日
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は、長崎と天草地方の潜伏キリシタンが禁教期に密かに信仰を続ける中で育んだ、宗教に関する独特の文化的伝統を物語る12の構成資産で、この夏の世界文化遺産登録を目指しています。登録前に予習して、一足早く、各地を訪ねてみませんか?
※世界遺産候補構成資産内の教会見学には事前連絡が必要です
12の構成資産は潜伏キリシタンの始まりから形成、維持拡大、終焉までのそれぞれのタームで重要な集落や史跡が組み込まれています。
それでは、12の構成資産をたどっていきましょう。
自らのかたちで信仰をひそかに続けるきっかけとなった地「原城跡」
禁教初期に島原半島南部と天草地方のキリシタンが起こした「島原・天草一揆」の主戦場となった城跡です。
江戸時代からほぼかわらない風景「平戸の聖地と集落(春日集落と安満岳)」
禁教期の春日集落の潜伏キリシタンは、キリスト教が伝わる以前から山岳信仰の場とされてきた安満岳に対して自らの信仰を重ね崇拝しました。
殉教地として潜伏キリシタンから崇敬「平戸の聖地と集落(中江ノ島)」
禁教初期にキリシタンの処刑が行われていた中江ノ島を殉教地として崇敬し、洗礼などに使う聖水採取の場としました。
潜伏キリシタンがカトリックに復活した地「天草の﨑津集落」
禁教期に潜伏キリシタンが信仰を続ける中で、アワビやタイラギなどの貝殻の内側の模様を聖母マリアに見立てて崇敬するなど漁村独特の信仰を育み、在来宗教とキリスト教とが共存した集落です。キリスト教解禁後は﨑津諏訪神社の隣に﨑津教会を建築しました。
その後、昭和9年(1934年)にハルブ神父により、絵踏みが行われた庄屋役宅跡に現在のゴシック様式の教会が建てられました。
聖画像をひそかに拝み信仰を続けた「外海の出津集落」
潜伏キリシタンが、聖画像をひそかに拝むことで自らの信仰をかくし、教理書や教会暦をよりどころに信仰を続けた集落。集落には出津教会堂が建っています。
神道の信仰を装いながら続けた信仰「外海の大野集落」
潜伏キリシタンが表向きは仏教徒となり、さらに集落内の神社の氏子となって仏教や神道の信仰を装いながら、自らの信仰対象を神社にひそかにまつり、祈りの場とすることで信仰を続けた集落。集落には大野教会堂が建っています。
仏教寺院でマリア観音に祈りを捧げた「黒島の集落」
19世紀半ば潜伏キリシタンが平戸藩の牧場跡の再開発地となっていた場所に移住し、自らのかたちで信仰を続けた集落。集落には黒島天主堂が建っています。
神道の聖地で信仰を続ける「野崎島の集落跡」
19世紀以降に潜伏キリシタンが神道の聖地へと移住することにより、自らのかたちで信仰を続けた集落の遺跡。集落には旧野首教会が建っています。
仏教徒の開拓地の指導によりできた集落「頭ヶ島の集落」
19世紀半ばに潜伏キリシタンが病人の療養地として使われていた島へ移住することにより、自らのかたちで信仰を続けた集落の遺跡。集落には頭ヶ島天主堂が建っています。
未開の地で仏教徒との相互関係で守り続ける「久賀島の集落」
禁教期の潜伏キリシタンが五島藩の開拓移民政策に従い、未開拓地に移住して自らのかたちで信仰を続けた集落。集落には旧五輪教会堂が建っています。
人里離れた海の近い谷間に移住「奈留島の江上集落(江上天主堂とその周辺)」
禁教期の潜伏キリシタンが狭い谷間に移住し、その地勢に適応しながら自らのかたちで信仰を続け、解禁後に教会堂を建てた集落。集落には江上天主堂が建っています。
世界が驚いた信徒発見の舞台「大浦天主堂」
日本の開国により来日した宣教師が1864年に建てた教会堂であり、潜伏キリシタンが2世紀ぶりに宣教師と出会い、その後カトリックへ復帰するものがあらわれるなど、新たな信仰の局面を迎えるきっかけとなった「信徒発見」の舞台です。
登録前に巡ってみるのは、いかがでしょうか?
その他、「長崎と天草地方の 潜伏キリシタン関連遺産」についての詳細は、
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また、「九州の世界遺産」に関しては、
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