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ユニークな九州隠れ「山城」10選巡り

山などの自然の地形を利用した山城は九州にたくさんあります。
山ガールや城マニアも必見なユニークな九州の隠れ「山城」10選を紹介します。

山城とは?

険峻な山の頂や尾根に築かれた城のことを「山城(やまじろ)」といいます。そのはじまりは飛鳥時代まで遡り、朝鮮半島にある山城をルーツとした「古代山城(こだいさんじょう)」が西日本に築かれました。古代山城の築城技術は一度途絶えますが、南北朝時代になると守りやすく攻めにくい地形を利用した山城が誕生し、さらに戦国時代には山を削ったり、土を盛ったりと人工的な造作を加え技巧的な軍事施設へと発展していきます。日本には4万から5万ほどの城があるといわれていますが、その多くは山城で、実は身近な存在なのです。謎に包まれた山城は、歴史ロマンがたっぷり詰まった宝の山。山城めぐりは大冒険なのです。

大野城(福岡県宇美町)

約1350年前に築かれた国宝級の山城
今から約1350年前の飛鳥時代、太宰府政庁の防衛のために築かれた「古代山城」の一つです。大野城は、円を描くように全長約8キロメートの城壁が山の稜線や斜面をめぐっているのが特徴で、「石塁」や「版築土塁」が見どころとなっています。
大野城

福岡県糟屋郡宇美町大字四王寺207

https://www.welcomekyushu.jp/project/yamashiro-tumulus/yamashiro/9

岩石城(福岡県添田町)

豊臣軍が落とした「豊前一の堅城」
豊臣秀吉軍にも攻められたことがある「豊前一の堅城」。城が使われた457年間、城主を繰り返しかえ、戦乱の渦中に巻き込まれ続けた岩石城の歴史にはロマンがたっぷり詰まっています。標高454メートルの岩石山(がんじゃくさん)に築かれた山城は、城の遺構と、自然がつくりだした巨岩、奇岩がダブルで満喫できる場所。
岩石城

福岡県田川郡添田町添田1788-2

https://www.welcomekyushu.jp/project/yamashiro-tumulus/yamashiro/11

肥前名護屋城(佐賀県唐津市)

中国大陸進出を夢見た豊臣軍の本陣
天下統一を成し遂げた豊臣秀吉は、大陸進出という新たな野望を抱き、1592年から朝鮮半島への出兵を決行しました(文禄・慶長の役)。その際、豊臣軍の本陣として東松浦半島の先端に築かれたのが肥前名護屋城です。ただの「城跡」と思い侮ることなかれ。実は、破壊による美しさをも感じられる、しびれるスポットです。
肥前名護屋城

佐賀県唐津市鎮西町名護屋1938-3

https://www.welcomekyushu.jp/project/yamashiro-tumulus/yamashiro/12

梶谷城(長崎県松浦市)

海の武士団、松浦水軍はじまりの地
九州北西部を拠点とした水軍、松浦氏の城。松浦党発展の痕跡を探れる貴重な山城として、県史跡に指定されました。梶谷城は、朝鮮出兵の際に近世城郭へと改修され、当時の石垣を見学することができます。巡りやすいコンパクトな構造ながらも、戦国時代末期の築城技術が堪能できる山城です。
梶谷城

長崎県松浦市今福町東免

https://www.welcomekyushu.jp/project/yamashiro-tumulus/yamashiro/13

金田城(長崎県対馬市)

日本の国境最前線、石塁がめぐる古代山城
飛鳥時代に、日本の国防最前線・対馬に築かれた「古代山城」。見どころは、ぐるっと一周めぐるように築かれた約2.2キロメートルの城壁です。城山山頂まで1時間ほどで到着しますが、全体をめぐる場合は所要時間4時間から5時間ほどが目安。山頂付近には明治時代の砲台跡もあるため、2つの時代の遺跡を同時に楽しむことができるお得な城です。
金田城

長崎県対馬市美津島町黒瀬城山

https://www.welcomekyushu.jp/project/yamashiro-tumulus/yamashiro/14

佐敷城(熊本県芦北町)

山の上で味わえる高石垣と破城の痕跡
豊臣秀吉が九州を平定した翌年の1588年、加藤清正は現在の熊本県にあたる肥後半国を任されました。その際、小西氏、相良氏、島津氏といった近隣勢力に備えるため、国境付近に築かれたのが佐敷城です。佐敷城の生涯はわずか25年ほどと短命ながらも、2度も攻められた歴史エピソード満載の山城です。
佐敷城

熊本県葦北郡芦北町佐敷194-1

https://www.welcomekyushu.jp/project/yamashiro-tumulus/yamashiro/15

佐伯城(大分県佐伯市)

江戸時代を生き抜いた佐伯藩2万石の居城
関ケ原の戦いで東軍に寝返った毛利高政は、佐伯2万石に転封となりました。1602年より4年をかけ新城築城に取り掛かった高政が選地したのは、標高144mの山の上。石垣が張りめぐらされたその姿は、近年話題となった「天空の城」さながらです。明治まで佐伯藩毛利氏12代の居城となったのが佐伯城です。
佐伯城

大分県佐伯市字城山

https://www.welcomekyushu.jp/project/yamashiro-tumulus/yamashiro/25

角牟礼城(大分県玖珠町)

名勝耶馬渓が語り継ぐ難攻不落の山城の歴史
鎌倉時代に、豊後の地方豪族・森朝通によって築かれたと伝わる角牟礼城。戦国時代には、島津氏の大軍に攻められるも落城しなかった堅城です。戦国時代末期には中世の城から近世の城へと改修され、変貌する過程をうかがい知ることができます。二の丸や三の丸を中心に築かれた石垣が、一番の見どころです。
角牟礼城

大分県玖珠郡玖珠町 森

https://www.welcomekyushu.jp/project/yamashiro-tumulus/yamashiro/17

都於郡城(宮崎県西都市)

中世に日向国を治めた伊東氏240年の居城
南北朝時代の築城以来、約240年にわたり日向(現在の宮崎県)を治めた伊東氏の居城。最盛期には領国内に48の城をもち、佐土原城とともに本拠地となったのが都於郡城です。九州南部特有のシラス台地を生かした中世の山城で、ダイナミックな空堀や急勾配に立ち上がる切岸が特徴で、特に本丸と二の丸の間にある深さ10メートルの「空堀」は驚いて腰を抜かすほどです。
都於郡城

宮崎県西都市大字荒武鹿野田

https://www.welcomekyushu.jp/project/yamashiro-tumulus/yamashiro/20

志布志城(鹿児島県志布志市)

南九州型城郭を代表する山城
現在の宮崎県南部から鹿児島県西部にかけての一帯は、戦国時代に島津氏や肝付氏、伊東氏が争う群雄割拠の様相でした。志布志城は城主が繰り返し代わりながらも、島津方の前線拠点として重要視された歴史があります。九州南部に特有の土壌を活かした城造りが特徴の志布志城。なかでも、複雑に入り組んだ空堀が見どころで、「迷宮」に入りこんだような大冒険が味わえます。
志布志城

鹿児島県志布志市志布志町帖6380

https://www.welcomekyushu.jp/project/yamashiro-tumulus/yamashiro/21

より詳しい情報はこちらから↓
https://www.welcomekyushu.jp/project/yamashiro-tumulus/yamashiro/

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